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水木 真



 今更、どういう理由でそうなったのかを言うつもりは無い。そうなってしまったのならば仕方ないし、どうにも出来ないならば先の事を考える方が何時までも止まっているよりマシだ。無駄にしてしまったのか、その時間は長いのか短いのかなんてもう下らない。
 何てことはない。ただ、他の同年代よりも一回だけ多く、卒業式後に咲いて春休み中に散るタイミングの悪い桜を眺める事になるだけだろう。中学までは決して使う事が無かった電車と自転車による通学も、慣れてしまえば徒歩だけよりも楽に感じる。寄り道の際によく入る店も徐々に増えているし定番となっている所もあるから、早過ぎるかもしれないが名残惜しいと思えて来る。
 その地に長く居る程、去る時の淋しさは強くなるはずだが、まぁ、俺の場合は地元からでも自転車で行ける距離だし、進学先又は就職先で遠い所へ行かなければ何時でも行ける。それでも自分らよりも長く居続けている先生方を羨ましいと思ってしまう。
 割かし楽観的、と言うか悲観的には考えていないのは良い事なのかは知らない。ただ、これが俺の性分なんだろうな、となんとなくは自覚している。勿論、これが家の中とかで比較的のんびりと過ごしている最中だからって言うのも分かる。
 一見、何時もぼんやりしている様に思わせている。内心の事なんか全く醸し出さない様に言動を気にしている。それも無意識に。悲劇の何たらになるのが嫌だ、みたいな不貞腐れたものではなく、単純に臆病なだけなんだと思う。
 大人になれば一つや二つの差なんて大した問題では無い、なんて時折耳にするが、裏を返せば子供の頃は一つ二つの差が結構大きい、と言う意味ではないのか。
 そして、幾ら大人に近付いていても、やはりまだまだ子供である今の時期、なんとなくそうものなんだろうなぁと思っていても体は慣れていなく、心と体が少しだけ矛盾しているみたいにも感じてしまう。と言う事は、これに慣れるのは大学生ないし社会人になってから、そこから数年後だと予想する。
 ああ。つまり。無理。てことか。
 諦めている様子に開き直っている様子、それが既に何度も弾き出した答え。
 それでも、その答え通りには行かない自分。
 本当に子供っぽい心情なんだと思う。
 だけど、それを無意識で抑えている、と意識してしまった時点で駄目だ。
 暗示に陥りやすい性質なのかもしれないが、それも違う。
 今だけにしか分からない事、今では解らない事。
 凄くちっぽけで簡単な事かもしれないが、凄く大事な事。
 俺は単純に……青春時代を……誰よりも謳歌している。
「おはよー」
 と響き合う教室。些細な感情は雑多の擬似社会が掻き消してしまう中で、見た目も中身も平々凡々、加えて頭の良さと体の良さも下馬評通りの雰囲気を漂わせる自分が、道に転がっている石ころと殆ど同等の扱いである事実は、今更特に思うところは無い。
 それでも、最初は違った。
 噂と言うものは本当に早く回り、本当に早く浸透する。
 俺が教室へ行った時点で、既に『このクラスに一人、ダブった奴がいる』と言う話題が存在していたのだ。そして、何処となく、その視線は複数の人間に集まっており、俺もその内の一人だった。
 多分、発生源は普通に進級した奴らだろう。だから、その情報を弟か妹が聞いて、それをちょっと喋ったら何時の間にか、とかそんな程度だと思われる。
 ……本当、感心してしまう位、こういう事に関しては凄まじいと思う。
 ここに帰国子女でもいれば俺の話題なんざ直ぐに彼方へ行くはずなんだが、残念ながら色物ばかりが集う教室では無かったらしい。非常に残念だ。
 まぁ、それでも、自己紹介した時点で、人の噂も何十日、て言う言葉がその通りだと強く思った。と言うか、一ヶ月も要らなさそうだな。有難いと言えばそうだが、一時期の些細な興味心も、こっちにとっては結構な重圧だって事は……、まぁ、分からないだろうな。
 しかし、一度腫れた御出来が治るには少し時間が掛かる。痕も残ってしまうかもしれない。うん、そういうものなんだろうなぁ。やっぱり、俺も意識しているって事は、向こうも意識しているって事で、どうにもこうにも初対面以上の何かが壁となり、不穏な雰囲気が自然と発生してしまっている。新年度になってまだ一度も休んでもいないのに何処となく、休んだ後の学校は行き辛いよなぁ、のアレに似ていて酷く困る。
 別に新しい高校生活をやり直したいって訳じゃない。本当にそう思うなら普通に学校を変えている。これはこれで乙……とまでは言わないけど、余り経験出来るもんじゃないから後々の人生でもしかしたら役立つかもしれない、なんて前向きで楽観的に捉えられるはずは無いんだけど、でも、そうでもしないと俺のあの一年間分は一体何だったんだ、と嘆いてしまいそうで不安なんだと思う。
 最早……ここに自分の考えがあるのか、判断出来なくなってきた。
 だから、本当はこんな考えもしたくない。本当はもっと馬鹿でいたい。
 それでも許せない自分をどうにかして捻じ曲げて押し殺したい。
 けれどもそれを出来ない自分の自尊心が腹立たしく思える。
 普段は欠片も存在していないと思っていたのに、急に出現して邪魔する。
 しかし、それを何処かで嬉しいとも悲しいとも感じる自分。
 解りたくないのに、判りたくないのに、分かってしまう。
 そう。自分は、本当に何もかも平凡な人間なんだ。
 だからこそ、俺は『普通』でいたいんだ。
「おはよう御座います〜」
 一人だけ丁寧な挨拶。同学年が集う中、こんな言い方をする奴は余程、真面目と言うか腰が引きまくっている人なんだろう。
 でも、何故かその声はとても明るく、俺の近くで響いた。
「……おはよう」
 顔すら動かさず、眼だけで上を向き、挨拶を返す。自分でも、かなりぶっきらぼうな感じなんだろうなぁとは思うが、面倒と言うか、まぁ、なんていうか、声の主が誰か判断した時点で……余り関わりたくないと嫌悪感を抱いてしまったからだ。
「先輩、今日も暗いですねぇ」
 いきなり人のイメージを悪くするような発言をいとも簡単に口走った。あ、いや、今更悪くならないと思うし良いや、とかそういう開き直りも出来るが、こっちだって一応多感な時期なんだから周りの目はやっぱり気にする。てな訳で、言うんじゃねぇよ、ゴラァ、と怒ってみたいが、それが出来たらこんな風にはなっていないはずで、そして、だからこそ出来ない訳で……中々の悪循環だ。
「先輩、一時間目の国語の宿題やって来ています?」
 そして、さらに輪を掛けて困っている事がある。
「先輩、聞いています?」
「……だから、止めろって……」
 その、先輩、って言うのを。
「えー。そう言われましても、早くもこれが板に付いちゃったもので、今更変える気になりません、ごめんなさい」
 謝りつつも我を通す口振りは最早羨ましいのだが、困る。今はまだ君一人で良いが、これが広まって全員から言われるようになったら弄りじゃなくて虐めだ。学級問題だ。自殺してやる。学校問題に発展させてやる。
「と言うか、俺に尋ねなくても、他にも一杯いるだろ?」
 宿題を写してくれる友達は。
「いやぁ、まぁ、やはりここは先輩が一番良いかなぁと」
 どう総合評価した結果、そうなるのか大変興味深いです。
「……別に、構わないけどな」
 ハァ、と溜め息交じりに鞄を開けてノートを取り出す。
「何だかんだ言っても見せてくれるじゃないですか」
 えへへ、とニッコリ笑って感謝の言葉を頂戴する。どうもです。
「どうせ俺のなんか見ても意味無いよ」
 自分でやった方が早いって。
「何言っているんですか、見せて貰った方が良いに決まっているじゃないですか」
 なら、尚更、君が俺を選ぶ理由が解らないよ。
 ……あの子は割りと誰とでも接しられる子らしい。それは男女隔たり無く、先生にもそうだし、何より、クラス内で俺に唯一話し掛けて来る。他愛の無い話をしてくる。
 それは――とても有難くて嬉しい事なんだが、同時に、あの言葉を何度も聞かされてしまい――純粋に喜べられない。
 用件を済ませて今度は別のクラスメイトの所へ行くあの子。その後姿は、その後姿でもあの子を十分に魅せている。きっと、俺とは対極に位置していて、少し憎い。
 それでも目が追ってしまう。
 好きなのかもしれない。単純に話しかけてくれるから俺に気があるのかも、なんて中学生みたいな自惚れかもしれない。俺に無い物を幾つも持っているから羨望の眼差しで見ているだけかもしれない。よく分からないが気になるだけかもしれない。
 あぁ、でも、好きにはならないで欲しい。
 好きになったら余計に困る。俺が。
 だって、こんな自分、誰も好きになってくれないだろ?
 俺だったら、好きになれない。
 だから、俺は今の俺が嫌いだ。
 ……なんて考えはもう飽きた。授業までもう少し時間があるから一服でもしに行くかな。あ、ちゃんと法律を守っている一服ね。これ言うと余計怪しまれるけど。
 席を立ち、とぼとぼ階段を降りて昇降口の近くにある自販機へ行こうとする。
 と。階段が見えた時点で引き返してしまった。
 あぁ、そうか、階段を降りると言う事は、二年生の世界に足を踏み込むって事だよな。例え少しでも、自意識過剰だって分かっていても、駄目なんだよな……。
 どうする事も出来ず、四階にある図書室も微妙なので、とりあえず各階にある冷水機へ足を運ぶ事にした。なんていうか、色々な意味で負け犬気分を味わった気がして、とてもたまらなかった。
 それでも、水は美味しかった。
 とぼとぼと教室へ戻る。そこへ、また、あの子がいた。
 俺に気付いているのかどうかも怪しい。単純に仲の良さそうな同性と他愛の無い話でもしているのだろう。至って普通。これでわざわざ話を中断して話し掛けて来るはずは無いだろうし、そんな事を思っている時点で割りと自惚れているみたいだ。
 だから、その通りになった時は、少し残念、なんて思ったりもしたが、それよりもちゃんと分かってくれていて嬉しかった。ああ、いや、そんな事、考えていないか。
 再び席に座り、そろそろ鳴るはずの騒音を今か今かと待ち望んでいる。勿論、授業が大好きだなんて天変地異が起きても口に出すまいが、まぁ、静かなのは好きだ。
 ここまで来ると後は机にうつ伏せて間が空いた二度寝でもすれば十分だ。
 そうすれば、そう。
 無情にも時間は過ぎて行く。
「キーンコーンカーンコーン……」
 それから、幾ら聞いても慣れないチャイムの音で目覚めた。慣れたら何時まで寝ていられるのか気になるが、代わりにまたしてもこの階まで上り続ける事になる……と言うか、確か二年連続になってしまうと強制退学らしいので、慣れない事を祈ろう。
 先生が教室から見えなくなった事を確認してから両腕を伸ばして欠伸を気兼ね無く出し続ける。ついでに縮こまった体を少し解す。寝ていただけなのに肉体は無理な体勢のままで虐げられていた所為か、ちょっと痛い。
 調子を戻すついでに飲み物でも買いに行くか――、と思っただけで自分がまだ寝惚けている事に気付く。既に飲み物はあるんだった。
 何時買ったかって? 登校時だよ。
 毎日、昼休み中の自販機前は混む。それを避けて早めか遅めに買う人もいる。まぁ、早めと言っても授業が少し早く終わった所でもないと無理だが、俺は登校時に買っている。
 早過ぎる。それは分かっている。だから温くても我慢出来るよう炭酸は避け、お茶にしている。弁当は作ってもらっているので、弁当袋の中に入れている。
 早過ぎる。ああ、分かっている。どうも体はまだ我慢出来ないみたいなので、自然とそうなってしまっている。そこまでしないと駄目なのか、と問われると、じゃなかったらそんなことしないって。
 どうやら俺と言う人間は中々の臆病者みたいだ。それを知られるのが嫌だから普段はボーっとしているのかどうかは知らない。狼少年とはまた違うが、そんな感じなんだろうか。だからと言って、別にそれが知れ渡ったところで、誰も何の反応を示さないと思うが。
 そんな訳で、本日も独りっきりのランチタイム。特別、虐められているとかそういうのは無いと思……いたいが、どうも、輪に入られない地味な子だなぁ、俺。
 折角だし仲良くなっておきたいとは多少思うものの、それを行動に移さない時点で自主的なものは無く、まぁ、文化祭辺りで少しはきっかけが生まれて来るだろう、なんて完璧な受身体勢で出来る確率は零。皆無。
 ……何やらご飯がしょっぱくなってきたので止めとこう。
 どうせなら目の前で突いている物に観点を置こう。
 母が毎日作ってくれる弁当は普通に美味しくて、ちゃんと味わえば腹も心も十分満たされる。冷凍食品があっても文句は言わないさ。
 それでも、こんな風に味わうのは何処となく虚しくて。
 少し顔をずらせば見える誰かの笑顔が懐かしくて。
 自分もそんな時があったのかと思い出そうとして。
 最早、悲しいと感じる事も段々無くなってきて。
 なのに、何故か目頭がちょっと熱くなってきて。
 思わず視界を変えようと振り向いて。
 あの子の笑顔が印象に残った。
「ふわぁぁ〜……」
 欠伸をかみ殺す放課後。今日もお勤めご苦労様でした、と自嘲交じりに心の中で言いながら鞄に手を掛け、今日は本屋にでも寄ろうかと算段してみる。何、新作の本が出ていなくてもぶらつくだけでも良いし、適当に立ち読みでもすれば十分。まぁ、大体漫画だけど。
 どうせ時間はあるんだ。のんびり行くか。
「あ、先輩」
 ……と、そこへ、遮る何かが現れた。
「今日はもう帰ってしまうのですか?」
 相手は中ボスクラス。攻略推奨レベルまでには至らず。
「まぁ、どうせ居てもやる事無いし」
 部活に入っている訳でも。
「はぁ……毎日、お暇なんですか」
 他人から言われると妙に心地良くないな、それ。
「そうだな。委員会とかも無いし」
 とは言っても嘘を付く気力は無い。
「ははぁ……、そーですかー……」
 何やら、随分ゆっくりした喋り方ですね。
「君は何か部活やっているの?」
 考え事しているっぽいので、なんとなく振ってみる。
「いえ、特に。帰宅部です」
 何かやっていてもおかしくないけどね。
「そうか、じゃあ、一緒か」
 今のは割りと余計な一言だった気がする。
「そうですね、部活でも先輩ですね〜」
 ……嫌な予感は的中率が上がるのだろうか。
「まぁ、とは言っても道順、正反対だけどな」
 俺は裏門。彼女は確か正門。
「そっか。だから先輩と登下校で会わないんだ」
 何だ、知っていると思っていたんだが。
「ははは。残念だね」
 愛想笑いって言うのは簡単に出るらしい。
「そうですね。ちょっと残念です」
 向こうは本当に残念がっている様に見えた。
「うん、じゃあ、またね」
 そう言って締め括る。
「あ、先輩」
「ん……、何?」
 一歩も踏み出せずにまたしても遮られてしまう。
「折角ですし、一緒に帰りません?」
 ……ドアと言う脱出口は妙に遠かった。
 そして、言っている事がちょっと理解出来なかった。
「え、あ、いや、うーん……」
 話し掛けて来た時点である程度は予測なり覚悟なりしておくべきだったのかもしれない。そりゃそうだ。この子が何の意味も無く話し掛けて来るはずが……あるかもしれないが、どちらにせよ、自惚れてでも良いから思えば良かった。そして、何も考えずにこの後の予定が無い事を言ってしまった時点で回避不可能。ノーと言った瞬間、それは拒絶となってしまう。八方塞。心の俺は表が冷静にしている分だけ慌てています。突然の停電並みに。
「私じゃあ嫌ですか?」
 何とも答え難い質問をぶつけて来たもんだ。それはイエスと言った瞬間、先ほどのノーと一緒だが、そんな事御座いませんよ、と紳士ぶってもアレだし。ていうか、それ以前に『じゃあ』って何だよ、じゃあって。
「い、いや……、別に良いけど……」
 どう考えてもこれ以外の答えが出ない。と言うか、分かっていて言ったのか。さっきのあれは策略なのか。とんだ策士なのか。あわてるな、これは……。
「良かった。じゃあ、行きましょう〜」
 本当に嬉しいのか、上機嫌そうである。そのまま舞でも披露するのかって言う感じでスタスタと先に行ってしまう。俺が躊躇する暇なんて無い。
「なぁ……」
 だからこそ、今、言いたい。
「はい?」
 笑顔のまま振り返る。その輝きに負けてしまいそうだが、きっと、今言わないと、とりあえず今日はもうチャンスが無いと第六感が告げている。
 彼女の笑顔を崩したくない。もっと見たい。何時までも気さくに話し掛けて欲しい。
 だけど、言う。
「何で……俺なんかに話し掛けて来るんだ?」
 最初は挨拶程度。その内、授業か何かで一言二言口を交わし、気付けば挨拶が普通になり、そしてまたも気付けば一言二言が普通になっていて、まだ数日しか経っていないはずなのに、俺に話し掛けて来るようになってきた。
 きっと好奇心とか興味本位だろうと思っていた。だから、直ぐ言葉を交わす事なんて無くなると思っていた。挨拶も一度やってしまったからには続けないと、なんて言う義務感なんだろうと思っていた。会話もその延長だと思っていた。
 だから、これもその延長なんだろう?
「はぁ……」
 どう言えば良いのかと悩んでいるのか、やはり笑顔は消え、愛想笑いも中途半端。見たくは無かった。しかし、これが彼女の本当の顔なんだ。
「正直、俺となんかと遊んでも、つまらないぞ」
 俺となんかといても、意味無いぞ。
「いや、その……」
 困った顔は続く。本心をどう明かせば良いのか戸惑っているのだろうか。
 でも、君はもっと仲の良い子と本当の笑顔を出し続けた方が良いよ。
「えっと――」
 頭の中で書き上げた文章の推敲は終わったのか、一呼吸を入れる。
 何時の間にか俺とこの子しかいない教室になっていて、何故か喧騒は何処か遠くから響いて来る以外に無く、空間から切断されたとも思えてきた。
「なんて言いますか……、それを判断するんですよ」
「……へ?」
 思わず、声に出して、しまった。
「あれですよ。一期一会と言うか、袖振り合うも多生の縁、ってやつですよ」
 つ、つまり……?
「えっと、本来、恐らく先輩と私は同じ高校に通っていながらも殆ど接点が無いまま終わっていたと思います。勿論、そういう人たちは沢山いると思うので、知らなければ別に何も思うことは無いと思うのですが、先輩は一つ上にも拘らず同じクラスになってその存在を知ってしまったからには興味が出るというか、これも何かの縁や廻り合わせなのかなぁと。ですから、折角ですし、と言うのは失礼ですが、仲良くなりたいな〜と思った訳です」
 ……あぁ、なるほど……。君のイメージが結構変わったよ。
「確かに、一個違っていたから、本来こんな風に話す事も無かっただろうね」
「はい。でも、ある意味、一個違ったからこんな風に話せられたんですよ」
 淡々と、授業で先生に当てられて朗読する時みたいな、普通の口調。まるで初めから分かっていたような。頭が良い……とはまた違うけど、でも、そういう考えが出来て、それを平然と口に出来る事は凄いと思う。
 たった一つの差。それなのに、それだけど。
 確かに、彼女の言い分は正しいと思うよ。それを小っ恥ずかしいけど簡単に言うと運命って奴なのかもしれないけど。
 でも、それなら。
「何で……どうして俺の事を『先輩』って呼ぶんだ?」
 先ほどの言葉を聞いて、俺は尚更理解出来なかった。そんな考えに至っているならば、俺の事を『先輩』と呼ばずに苗字とかで呼ぶはずだ。俺が君とか仰々しく言うのはなんとなくどう呼べば良いのか分からないからだけど、そんな理由も必要性も無いはずだ。
「やっぱり、嫌ですか?」
 それは分かっていながらも呼んでいる、と言う事か。
「まぁ、正直、良い気分にはならないよ」
 理解しているのに、何故呼ぶのか、益々分からない。
 何もかもお見通しらしく、苦々しい顔をしながら質問して来た顔は、さらに増してしまった。どうやら悪意は無いようだったが、わざとやる意味があるのだろうか。
「なんて言いますか……」
 俺に非は無いはずだが、この子が目の前でうんうん悩んでいると、どうも罪悪感に苛まれてしまう。余程の事なのか?
「えっと、『先輩』って敬称の一つじゃないですか」
「まぁ、そう言われるとそうだけど、それで?」
「『敬称』とは敬意を表すものじゃないですか」
 ……え、えーと……。
「つまり、私は先輩に敬意を持っているんですよ」
 なんていうか……ある意味凄い理由だ……。
「それ、大マジ?」
 思わず尋ねてしまう。
「はい、大マジです」
 即答。どうやら本当らしい。
 なんていうか、今まで明るくて元気で、それでいて優しくてこんな俺にでも隔たり無く接してくれる良い子だと思っていたのに、先ほどの一言で中々頭の切れる子と思ったり本当に純粋な子と思ったりもしたのに……、今度は……かなり表現しにくい印象を持ってしまいそうになるな……。皮を剥き過ぎて食べられる部位が何処なのか全く判らない、なんて感じに例えれば良いのだろうか。
「俺の何処に敬う気持ちが出てくる要素があるのやら……」
 思わず独り言のつもりで自嘲した。
「そうですか? 私は要素が見えますよ」
 怖気づく事を知らないのか、互いの位置は同じなはずなのに、食い込んでくる感じがしてちょっと圧迫感を覚えてしまった。
「例えば、本当は学校に行き辛くて、教室にいても居場所が無くてもちゃんと来られているって凄いな〜、とか」
「そうか?」
「はい、私にはちょっと出来ません」
 少し自分を嘲る様に彼女は言った。
「まぁ……俺も一応高校は出ておきたいからな。それに、高校変える気も無いし、親にも悪いし。元々はやっちまった時点で悪いんだけど、それは置いて。後は、その内なんとかなるかなー、なんて楽観的に考えられたから、かな」
 握り締めるのも億劫になってきた鞄を適当に机の上に置いて、同時の俺も机にちょっと腰掛けて一呼吸を付けた。
「誰かさんが話し掛けてくれたお陰でね」
 ちょっとだけ格好付けながらも、感謝を込めて。
「……あはは。いえいえ、とんでもないことです」
 どうやら通じたみたいだ。
「でも、まだまだですよ?」
 彼女はまたも何やら意味深な事を言い始めた。
「私と先輩は確かに出会えました。けれど、その後どうなるかは分かりません。結局、最初はちょっと喋っていたけど、夏休み前になったらもう殆ど――みたいになっていてもおかしくないですからね」
「まぁ、確かに」
 俺が拒み続ければ十分あり得る未来だ。
「そうです。先輩はどうか知りませんが、私にとって『先輩』は、私の生活を構成するキーワードに1%も含まれていないんですよ」
「……はぁ」
「でも、それは当然です。なんたって私と先輩は出会ってまだ一ヶ月も経っていないんですから。精々、『学校生活』の中の……、まぁ、それでもちょっとだと思います。けれど、これから先輩がどうするかで変わって来ると思います」
「……………」
「だから、後は先輩次第です」
 空はまだ輝いていて、きっと窓の外は活気に満ちて、遠くから何かが聞こえて来るだけで、その分時計の音がやけに響いていて、教室には二人しかいなくて、彼女以外が少しぼやけて見えて、凄く心臓がドキドキしていて、とっても不思議な気分で……。
 たった数秒の、とても長い時間。
「……なんていうか……、凄いね……」
 上手く表現は出来ない。さっきと同じで、まず、そういう考えが出来る時点でそうだし、それを口にする事も、しかも、あっけらかんと。
 そして、何より。
「そこまで言って置いて、最後は他人任せなんだ」
 思わず噴き出しそうになってしまった。
「いえ、でも、間違っていませんよ?」
 彼女も自分で言ったにも関わらず噴き出しそうだった。
「確かに。そうかもね」
 そこで互いに限界だった。
 もしかしたら、この出来事は無かった方が良かったかもしれない。そうしたらもうちょっとこの子の笑顔が本当に愛らしく見えていたかもしれない。
 でも、知ってしまった。彼女を知ってしまったんだ。そうしたら、もう、無理だ。次の日、同じ笑顔を見ても純粋に愛らしくは見えないと思う。
 知らなければ良かったと思う一方で、知って良かったと思う。それは知った自分にしか思えない感想。知らなければこんな事を思うはずが無く、知ってしまったからこそ思う事で、もし、本当に知らなければ良かったと嘆くならば……笑い合っていないさ。
「あれだ。今日を境にこっちからも話し掛けるよ。それで、これからは君と関わって、君を通じて色々な人と関わってみるよ」
「それは良い心掛けですね。良いですけど、私をダシにして他の女の子と接点持とうなんて考えは止めてくださいね?」
 緊張の糸が切れた所為なのか、何かの咎が消えた所為か、箸が落ちてもおかしい位にまでなってしまった。もう、さっきまでの静けさは無く、思わず机をバシバシ叩いたり床をドンドン踏みつけたりしている。
「まぁ、これからもよろしくな」
「はい、これからもよろしくお願いします」
 抱擁や握手を交わすなんて事は無く、よろしくの挨拶とは思えないものだった。
 それから実質、数分程度だろうか。ようやく笑い声が途切れた。そういえば遊びに行く予定だった気がするが、もう十分楽しめたので結構どうでも良かった。
 ただ、まだ気になる事があった。
「あのさ、折角こういう仲? になったんだし、敬語を使ってくれるのは有難いけど、もう敬語じゃなくて良いと思うよ」
 今までも気さくに話し掛けてくれたけど、もっと気さくにして欲しかった。
「あー……、いや、その、やっぱりこれが板に付いちゃいまして……」
 少しもじもじしながらやっぱり首を縦には振ってくれなかった。
「それと、後、さっきの続きで、先輩を敬う要素の一つとして、私が、まぁ、わざと『先輩』『先輩』と呼んでも表面上は嫌な顔をせず、それでいて普通に接してくれて、宿題なんかも見せてくれたりもしていて、なんていうか、これも私には出来なさそうです」
 君がそういう事を無理だと言うのは何処か違和感を覚えるけど、それはまだ俺の知らない部分であり、それを知りたいからこそ、これからも付き合って行きたいと思うのかもしれない。俺の生活に何処まで関わるかは別として。
「そうですね、後は――」
 そこで一度、区切って。一呼吸の後、とびきりの笑顔を見せて言った。


「ちょっと特別じゃないですか?」



終 




後書小言あとがきこごと

 どうも、水木です。ここでは芋とか初老なんて言葉は出ません。

 今回は2007年の文化祭に載せた作品です。

 ……今更載せました。すみません。
 ついでに見直しも全くしていません。
 確か、部誌を見た時、間違いが無かった気がしたので……そのまま。

 何時まで経っても駄目な証拠ですよね。



 作品の方は、秋だけど春です(当時と、その季節)。
 てな訳で、残る季節は……ね。
 問題はそこまで書けるかどうかですが、まぁ、文芸部に在部している限り、書くでしょう。

 一応、今回は、僕の行っている学校が『そういう』所なので、特に、新入生辺りに
 「こういう考えもありますよ」「こんな気持ちもあるけれど」とかそういう事を伝えられればなぁ、と。
 同時に、自分にも……かもしれませんが。
 当時の自分は色々意識したのだと思います。



 で。内容について。

 ちょっと自分の意図や意思通りに行かなかった気がして、残念です。
 半ば適当だった部分もあるし、直したけど上手く行かなかった部分もあるし……。
 こういうのを別の人なり、それこそ漫画にでも表してくれると色々な意味で嬉しいのですがね。
 周りにそういうお方いないかしら。

 相変わらず貫き通す所は通します。ただ、かなり怪しくなってきました。
 よく分からないアレなネタは、多分、張良の罠ですよ。

 一番困ったのは、今回の主人公に感情移入し易過ぎた事ですね。
 前半はそういうのばっか、取り戻そうとして後半台詞と謎の心情ばっか。
 おかしいなぁ、似ている様でそこまで似ていないはずなんだけどなー。と。



 てな訳で、すっかりやっぱり長くなっちゃった後書。まぁ、この辺で。
 もし、ここまで読んだ方がいるならば、その人には是非この言葉を。

 「有難う御座いました」



2008/1/21 水木 真 

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