排水溝から見える光

水木 真 

 例えば真夏の夕暮れ、かんかんと照り射す陽の光さえも遮る灰色の雲しか目に入らない空を見て、家の中で遊んでいると、ふと気付けば激しい雨音が耳を支配していた。その音の正体を分かりつつも何だ何だと居間へ行き、窓の外からでも分かる豪雨の凄さを見てはしゃいだ。そして、もっと見ようとベランダへ出ると、左端の方にある排水管から大量の雨水が、こんな狭い所から早く出たいと我先に流れてはそのままの勢いで一階へと続く排水溝に飛び込んで行くのをボクは見た。
 それがただの通り雨やちょっと天気の悪い日程度の強さでは見られなく、嵐やこの時の様な夕立でないと中々ないと感じ、また、台風はともかく一時期にしか強さを持たないにわか雨ならば尚の事珍しいと思ったのか、ボクは何となく排水管に近付き、その口を塞いだ。
 まだ成長期を迎えていない幼い子供の手で口を塞いでも全てを覆う事は無理で、水を完全に塞き止められずに隙間から脱出させてしまった。それでも溜められるところまで力を込めて踏ん張ろうとするが、子供の限界など数分も立てば直ぐに達してしまうのが現実だった。自分なりに精一杯やったと思いながらも悔しさの念を持って、ボクは抗いながら手を放した。
 しばらく同じ事を繰り返すと、じゃあ今度は両手でやってみたらどうだろうかと、柱に体を預けて試みるが、確かに片手よりも隙間は減ったが代わりに手と手の中に空間が生じてそこに水が集まり、また、両端にも、分散はされるが水は流れてくるので手に込める力も分散させつつ中央の勢いが一番強い水の進軍を防がなければならない。そして、そんな事が少年に長く続けられるはずもなく、結局片手と大差なく排水管に水を吐き出させてしまった。
 何度か片手と両手を交互にやっているとその内、力を分散させるよりも一点に集中する片手の方が楽だと気付き、結果、最初と同じ体勢、しゃがんで右手は排水管の口を、左手は排水管が付いている柱を掴みながら幾度も幾度も生産性の無い遊戯を続けた。
 やがて土砂降りが収まる前に飽きてしまい、サンダルを脱いで居間へ戻ると、時計の針は三十分も動いておらず、しかし、中々長い一時だったと薄ら思いながらも、テーブルに夕飯のおかずが乗っているのを見ると興味はもうそっちに傾いてしまい、そっとつまみ食いするのであった。
 しかし、あの時のボクは楽しかった∴ネ上の何か、満たされた気持ち以外の感情が確かに混ざっており、そして、当時のボクには理解出来なかった。
 だからかどうかはもう判らないが、それから数年経っても飽き足らず挑戦した。
 結局、雷雨を見ても飛び出す程興奮しなくなったのはどれくらい後かは覚えていない。元々不定期に発生する状況に気が向いたら行う程度のものだったし、人に話したら笑われそうな昔の事を詳しく覚えている方が驚きだろう。
 しかし、子供から青年と呼ばれる年頃となった僕は、再びある夏の夕方、昼間から既に予想が付く曇り空から降り刺さる灰色の刺客が襲って来ると、それまでしていた事を止めて開いている窓がないか探し回り、洗濯物を取り込む母の手伝いをする為ベランダへ出て、そして、あの排水管が目に留まった。
 無性に懐かしくて、突然衝動に駆られ、自分がまだ子供である事を証明するかの様に、気付けば排水管の口に右の手のひらを差し込んでしまっていた。
 昔と比べれば手の大きさも単純な力も増しており、少年時よりかは塞き止められていたが、それでも向こうの貯水限界の半分にも達していないと、水の音と勢いが伝わり感覚的に分かった。天井知らずとしか思えず、結局この先永久に勝てないと悟り、粘ったものの手を離す。
 最後にやった時よりも排水の流れが、以前の刹那よりかは長く続いて満足ではあった。そして、何時かの日も確か満足以外の何かを抱いた事を思い出す。あの時は解らなかった疑問の答えが今なら閃く様な気がして、再び挑み、飽き足らず三度排水管に手を出す。
 その内、僕は押し貫いてくる雨水を、我慢出来るまで溜め限界が来たところで放し排出された水を見る、一連の行為に快感を覚えている事に気が付いた。
 当時のこの感覚の正体が解らず、とりあえず妙に充実した一時だったと乱雑にまとめたが、今はこれと似た感じの出来事がないか、別の物事で例えられないかどうか、数年間の青年時代とも言える時期を高速で巻き戻し、また高速で早送りをして探したが、上手く表現出来る様な例えは見当たらなかった。本当は一つだけ、ほぼ全ての人が理解出来ると思われる、少年時代にはまず無く青年時代に入る少し前から大体分かる内容を発見したのだが、それは余りにも直接的で正し過ぎる≠フで即座に無かった事にした。
 ただ、何となくではあるが、それ故に間違いないと確信を持てる程、僕は「まるで自分みたいだ」と、ふと思った。
 具体的な対比と説明は難しいが、降りしきる雨を排水管に吸い込み、それを流す。その際、僕が手で防ぐ事により水は排水管の中に溜まり、後からやって来る水と交わりそして混ざる。最終的には排水溝へ行けるのだが、少年時代は少し漏れながらも抑えそして早くに決壊し、今は漏れる事も少なくあっさり断念する事も無い。
 そう、だから僕は、止めどなくにやって来る濁水を、感情に似ていると、理解、した。
 幼き頃は我慢も出来ず本心が常に出て、年を重ねればそれも少なくなり、その分混沌とした感情の水は溜まる。そして、限界が来ると体から一気に溢れ出る。
 僕は過去にそんな体験をした記憶がある。
 最後は排水溝へ消えて行く様に、僕のその時の感情も時間と共に流れ薄らぎ徐々に忘れながら消えて往く。しかし、水の終着点は地面であり、吸収された心の水によって成長していく僕に、それが影響を与えないはずがない。こじつけで自意識過剰の賜物でもあるが、僕には真実を見つけてしまったとも悟りが啓けたとも思える衝撃と感動と悲哀とが、排水管の中で混ざる雨水の如く、僕の心を掻き回す。
 あぁ、嫌だイヤだいやだ!
 ボクは子供に戻ってしまい、今まで考えていた事全てを訳の分からないものとして否定する。しかし、否定しようとも、もう一人の僕が突如頭の中に現れ、決してそれを許しはしなかった。嫌な事から逃げ出す日々はもう終わり、もう出来ず、もうしないのだと訴え掛けてくる。
 それがまた堪らなくて僕は排水管の口を塞いだ。その行為にもはや意味など無く、正に現実逃避、永く持つはずもないその場凌ぎである。
 やがてベランダにいる事がいけないのだと考え、飽きた様に居間へ戻り傍にあった座布団に顔を埋める。母に何をしていたのかと問われると、昔みたいな高い声とは正反対の低い子供の声で、ちょっとベランダで遊んでいた、と返事すると苦笑された。それが何の救いにもならず、僕は一刻も早く『無駄な一時だった』と思いたかった。
 ベランダの引き戸を閉め、それから自室に戻り別の事をしていると夕飯が出来たと母から声がかかったので居間に足を運ぶ。その際、ふと、外を見るとまだ曇り空ではあったが、大雨は何時の間にか止んでいた。
 そして、夜になればあの騒々しい雨雲たちは何処かへ消えて、お月様がちょこんと見えていた。
 もう雨の心配は無い。


 でも、あの月の光がやけに遠く感じた――。







後書小言あとがきこごと

 どうも、水木です。これでもレイアウトとか頑張っているんです。

 これは2009年度の文化祭・文芸部部誌に載せた作品です。
 そして、初めての上下刊行となりました。
 また、これが文芸部としては最後の作品の一つとなりました。

 「わがまま」は上、こちらは下に収録され、まぁ、部長兼編集の権力を行使して二作品書き、二つとも載せました。ただ、挿絵に関しては、〆切の関係もありますが、無い方が良いと判断して無いです(他の部員も二つ書いたり挿絵が無かったりはありました)。

 わがままと排水溝から見える光、両方の推敲も大変でしたが、まぁ、こちらは長くないので楽でした。〆切は、実は前回よりも早く終わったと言う……不思議具合。


 まぁ、文芸部としての話はこれくらいにして、内容について。

 とりあえず、最後だったんで好き勝手に書きましたパート2です。
 しかし、内容は、僕のこれまでの作品とは正反対の方向で行きました。「む」と言う作品を過去に書きましたが、あれと対比する様なイメージで書きました。こういうの何時か書きたかったので書けて良かったです。
 ただ、こういう作品を高校の文化祭に混ぜて良いのか躊躇しました。挿絵を描いてくれたと同時に推敲も手伝ってくれた一朝一夕さんに見せたら「ダークですね」と予想範囲内が返ってきたので少しひんやりしました。
 けれども、面白いもので、頂いた感想は「面白い」でした。結果オーライですかね。

 書き方は一応、一人称です。
 作品のイメージ&「わがまま」と対比させるべく頑張って硬く書きました。
 それと、エッセイではありません。ノンフィクション入りのフィクションです。あくまでも小説。

 キャラクターは一人いますが、いないようなものなので特に。


 てな訳で、今回は頑張って抑え気味にしました。ええ、一応。

 文化祭の作品を掲載するまでに時間がかかったり、やっぱり誤字脱字等があったり、後書きを意気揚々と書く癖が抜けなかったりとまだまだなところが沢山ありますが、これからも頑張って行きます故、こっそり読んで頂けると嬉しいです。

 それでは、この辺りで。

 ここまで読んだあなた。

 本当に。

 どうも。

 「有難う御座いました」



2010/4/1 水木 真 

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