蚊帳の外
序
誰にでも、頭では理解出来ても体は理解出来ていないと言う経験はあるのではないかと思う。例えば自分の家族、祖父母や飼っていたペットが死んだ時は、直ぐには受け入れられないと思う。
俺の場合は、誰かの死に比べればマシな方なのだろうか。
緊張しながら大きな掲示板を見に行ってそこに自分が握り締めている番号と同じ番号が書いてあるか探し、郵便物に結果通知の封筒が混ざっていると恐る恐る開封し、直接もらう場合は受付の人に番号と自分の名前を申し訳ない感じで口にする。
それらを繰り返した結果、気が付いてみれば児島貴志と言う一人の学生は、野晒しになっていた。
いや、別にこれは自分だけじゃない。毎年、何処にも入れなかった人なんて沢山いるはず。いるはずなんだ。だからおかしい事ではない。
そう、でも……そう分かっているはずなのに、俺がその一人になるなんて考えは頭の何処にも存在していなかった。きっと自分は何だかんだで一つくらい受かるだろう、第一志望は駄目でも他は大丈夫だろう、なんて甘い考えは見事に崩れ消えてしまい、どうすれば良いのか全く分からない現状である。
自分だけじゃない。
……だから何? それが救いになるの? それで何か解決するの?
父も母も「また来年頑張れば入れるよ」「一年くらい遅れても大丈夫」と励ましてくれる。予備校のパンフレットを集めてきてくれる。知り合いの中で浪人を経験した事のある人の話を聞いて俺に話してくれる。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
でも、俺はその気持ちに応えられない。
全く力が湧き上がらないんだ。部屋の本棚に置いてある教科書や参考書を見たくないんだ。机の上に置いてあるノートを開きたくないんだ。愛用していた筆箱も鉛筆も取り出したくないんだ。わざわざ買ってくれたラジオも流したくないんだ。もう時期的に着なくなった半纏(はんてん)も早く仕舞いたいんだ。
この気持ちは、一体どうすれば良いんだろう。
布団の上でただただ天井を眺めて、無意味に木目を見て、なるべく自分の過去から背いて、問題集に噛り付く前の自分を思い出して、全部ぼやけてきて、気が付けば空が紅くなっていて……。
俺は、そうして、無駄に時を過ごす。
何度も心配する母、何度も元気付けようとする父、その二人に罪悪感を覚えながらも、決して何も変わらない俺。
このままじゃ駄目だと頭は分かっていても、体は動かない。あぁ、これも、さっきの例えか。なんだ、意外と沢山ありそうだな。じゃあ、もっと純粋な感じだと、好きな人の前で頑張ろうと思ってもいざその人がいると緊張して全部空回りしちゃう、とかそんなのかな。他は、甘い物を食べたら太るって分かっているのに店先から香る誘惑の匂いや目から脳髄(のうずい)まで刺激する鮮やかな色に形に負けてしまう、とか。て、俺は女の子か。
少しだけ鼻で笑い、自嘲する事で逆に救われた気がした。一瞬だけど。
それからまた何か別の話題がないか探す。しかし、本もテレビも見ないと中々に難しく、語彙が全然無いんだな、とまた自嘲する。
……俺はこのままどうなるのだろうか。何時か、もっと時間が経てば立ち直れるのだろうか。いや、それともこのままずっと自堕落(じだらく)した、腑(ふ)抜(ぬ)けた生活を送り続けるのだろうか。自分でも、先が見えない。でも、今の生活に不満や不安はあるものの、心の底から嫌だ、このままだと不味い、と言う風に思わないのだから、きっと、今のままでも文句ないんだろうな。もしくは未来が全く見えない事に怖さを覚える気力も無いのかもしれない。そして、そんな自分に腹立たしさを覚える気力も無いんだな。
卒業して羽ばたいて往(い)った同級生にでも会えば変わるのかな。いや、逆に余計この部屋から抜け出せなくなる、かな。
何だか、うん、どんどん訳分からなくなってきたな。
もう良いや、このままで……。
今日も俺はそうやって夢の世界へ逃げる。本当に行っているのかさえ怪しく、目覚めれば忘れてしまう、夢に。
しかし、そんな生活を送っていて気付けばそろそろ六月になろうとしていたある日、一つの転機みたいなものが訪れる。
「貴志、お祖母ちゃんの家に行かない?」
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続きは本書で!