幻想に至る美肴びこう





*1*

 そよ風に吹かれて紅魔館の庭に植えられた花がなびいた。まだ冷たい冬の風だが、暦の上ではもう春である。日の光が射す昼間は徐々に暖かくなっていた。
 テラスにひとり、紅魔館の当主レミリア・スカーレットが日傘を付いた丸いテーブルに座っていた。吸血鬼であるレミリアにとって太陽は天敵だが、気にせず椅子に寄りかかって庭をながめている。
「お嬢様、お茶の時間です」
 そこにメイド長の十六夜咲夜がトレーを片手に現れた。レミリアの目の前にティーセットを置いてレミリアに話しかける。
「寒くはありませんか、お嬢様」
「平気よ」
 咲夜に淹れてもらったお茶を口にふくんで答え、また庭に目を向ける。
「今日は普通のお茶ね」
「変わったお茶の方がよかったですか?」
 余計なことを言ってしまったとレミリアが顔をしかめる。返事をせずにまた紅茶を飲む。
「……趣向を凝らすならお茶菓子でも作ってよ」
「お茶菓子、ですか」
 テーブルの上にはクッキーもケーキも置いていない。ティーセットだけではいささか彩りに欠けるともいえる。
「畏まりました、お嬢様」
 咲夜は頭を下げて主人の命令をその身に受け止めた。
「変なものを混ぜたり練りこんだりしないでよ」
「承知いたしました」
「普通で、おいしいものよ」
「分かっていますわ」
「……どうせならあまり食べたことがないものがいいわ」
「食べたことがないもの、ですか」
 咲夜が首をかしげる。しかしレミリアは答えない。
 代わりに紅茶を飲み、咲夜に顔を向けて少し笑った。
「期待しているわよ」
 たおやかな笑みだった。






*2*

 白玉楼の一室。静寂な時の中でひとり、西行寺幽々子がのんびりとお茶を飲んでいた。ひとつひとつの動作が非常にゆっくりとしており瞳は焦点が合っていないのかぼんやりとふすまの辺りに目を向けているだけだ。
 やがてお茶を飲み干し、湯のみを座卓に置く姿にはどこか哀愁が感じられた。
「はぁ……」
 ため息をひとつ、淋しそうな顔を浮かべてつく。
「妖夢」
 遠くからかすかに聞こえた足音に反応して幽々子は声をもらした。小さくて聞こえていない可能性もあったが、魂魄妖夢の耳には無事届いていた。
「なんですか、幽々子様」
 障子を開けて妖夢はたずねてきた。
 しかし幽々子は答えず、顔をあげて妖夢を見つめる。
 そして悲しそうな表情を浮かべて、
「お茶菓子が欲しいわ」
 と猫なで声で哀願したのだった。
「すみません、今日はもうないです」
「ないの?」
「明日買ってきますから我慢してください」
「ひどいわ。くすん」
 正座を崩してわざとらしく嘆く。妖夢はただ困った顔で幽々子を見下ろすだけしかしない。両者の間に流れる無言の空気は静かな戦いの幕開けだった。
「お茶菓子ならあるわよ」






*3*

 秋といっても様々な秋がある。読書、芸術、スポーツなどがあるが、幻想郷にとっては食欲の秋が最も身近な言葉だろう。作物の実りを歓喜し、神様に感謝をする。そして収穫した作物を食せば身も心も豊かになる。
 ところが、今年の幻想郷は様子がおかしい。
 天候不順により作物が育たなかったのだ。
 特に主食になるはずの米が育たなかった。
 当然、不作の年もあることを想定して備蓄している米はあるが、それでも足りないところが出てくる。また、話が広がり、作物が全くないと思う者までいた。そのため、里の米屋や八百屋は一時的に混乱状態に陥って品物がほとんどないという事態になってしまうほどだった。
「どうしよう……」
 そうつぶやいたのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。永遠亭の外、迷いの竹林をあてもなく歩きながら不作だった米について考えていた。毎月、満月の日に行われる例月祭に餅をついて供えているのだが、もち米も不作で手に入らなかったのだ。加えて、食べるための米も残り少ないときている。
「おかずばかりでご飯がなかったら、お師匠様か輝夜様が怒るかな」
 焦りと不安が顔に出しながら右手に持っているかごの中身を見る。収穫されて間もないキノコやいも、こぼうなどは入っているものの、確かに米はなかった。事情を説明すれば納得するだろうし、もしかしたら八意永琳と蓬莱山輝夜の耳にも米不足の話が届いているかもしれない、と前向きには考えられない鈴仙だった。明日、備蓄米は手に入るだろうか。
「あ、鈴仙」
 もう少しで永遠亭というところで鈴仙の前に現れたのは因幡てゐだった。てゐもどこかへ行っていたらしく、大きな袋を全身で抱えながら歩いていた。
「またさぼってどっか行っていたんでしょ」
 さっきまで不安は一時的に吹き飛び、鈴仙は目の前にいるてゐを叱る。しかし、てゐは聞く耳を持とうとせず、
「そんなことより、いいものを見つけたよ」
 自分が持っている袋を鈴仙に見せつけた。
「何よ、いいものって」
 あっさり話の腰をおられて怒りながらてゐが持っているものを見た。
「あれ、これって」
 すると、途端に態度を変えて袋をのぞきこむように見つめた。
 透明な袋の中心には名前が書かれていた。
「……『タイ米』?」






*4*

 梅雨が終わり、太陽が燦々と照りつける幻想郷の夏。その暑さには人間、妖怪、妖精も関係ない。思い思いに涼しさを求めて奔走し、そして、へばる。
 そんな中、博霊神社の巫女、博霊霊夢はというと、
「よう、見事にへばってるな」
 箒に乗って空から現れた霧雨魔理沙に言葉も返さず、縁側に寝転がっていた。
「まったく。今日も暑いぜ」
 しかし魔理沙も地面に降りて霊夢の横に座り、だらける。
 霊夢は起き上がり、傍らに置いてあるお盆の湯呑を取って飲んだ。
「毎日こんな感じだと、やる気も起きないわ」
「何をやる気だったんだ?」
「……なんだっけ」
 暑さで頭が回らないのか、霊夢は口をつぐむ。もしかしたら特に何も考えていなかったのかもしれない。
「それ、水か? 私にもくれ」
「ん」
 魔理沙は霊夢から湯呑を受け取る。急須から注ぎ足して飲むけれど、時間が経っていたせいか水はさほど冷たくなかった。
「確かに、こう暑いと何もする気にならんな」
「体もなんか重たいし、風邪かしら」
 そう言って霊夢はもう一度寝転がった。その顔は能面のようだ。額からは汗から流れているが拭うことすら億劫らしく、流れる汗をただ目で追っているだけ。
 と、その時。
「それは夏バテですよ」
 空から声が聞こえてきた。
 面倒くさそうに見上げると、霊夢の眼前に東風谷早苗の姿が映った。
「あら、珍しいわね」
「ちょっと里に出かけたついでに寄っただけです」
 見ると、早苗の右手には買い物かごがあった。膨れるほどの量ではないみたいだがそこそこ買ったらしくネギの先端が飛び出ている。
「で、夏バテってなんだ?」
 魔理沙がたずねる。湯呑の中の水は空になっていた。







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