君に送る文

後日談





※これらの話は先に本編を読み終わってから読んで下さい。












*交換プロフィール・ラブレター 後日談*


 それは机の横長の引き出しに入っていた。
「うお……っ」
 思わず声が出てしまった。少し体が引けてしまったが、改めてそれを取り出すと無造作に折れ曲がったような部分はなく文字は薄くなっているがまだまだ読めて、綺麗に保存されていることが分かる。
「これはまた、懐かしいな……」
 後ろを向いて取り出したそれを見せる。すると、最初は俺が見せ付けたものが何か判らずきょとんとしていたが、やがて理解するとちょっとばつが悪そうな顔をして、最後は開き直ったような笑みを浮かべた。
「ばれちゃった」
指でつかんだ紙をぺらぺらと振ってからもう一度、あの懐かしのプロフィール用紙をこの目でしっかりと見つめる。
「こんなもん残してどうするんだよ、純子」
「たまに見返すの」
 もう何年前のものだ。こみ上げてくる感情は色々あるようであんまり変わりない。こそばゆく、もどかしく、むず痒い。あの頃の自分を一気に思い出してしまう。
 あの時の俺は突然渡されたラブレターにひどく戸惑った。また、いきなり知らない年下の女の子から告白されて即座に返事ができるほど肝は据わっておらず、あの時は恋人が欲しいとは特に思っていなかった。
 だから、最初は断ろうとした。
「なんていうか、やっぱり大事なのか?」
「はい。だって、ぶんちゃんとの、初めての思い出の品だから」
 しかし、結果的にそうはならなかった。
 断らなかったのはその前にあることを思いついて、試したいと思ったからだ。
 それが今、俺がつまんでいるこの紙。ノートの一ページに表を描いて互いにお題を出し合ってプロフィールを書いた。そこには誕生日や身長など表面的なものしか書かれていないが、重要なことはそこじゃない。どんなお題を出すか、お題を見て相手がどう思うか、相手からの回答と新しいお題を見てどう思うかなど、プロフィールを書き合っている最中の自分と相手の反応だった。
「まあ、別にいいけどさ」
 素っ気なく紙を純子に渡す。
「そう言いつつ文ちゃんも私からの手紙、まだ持っているよね?」
「さあ、どうだっけかな」
 とりあえず「文ちゃん」はやめろ……と今更言っても仕方ないか。
「……やっぱり、あの時は、その、迷惑でしたよね」
 急に純子の顔がしんみりとする。純子は普段お淑やかだがたまに大胆な言動をとって俺を驚かす。それは暴走とも言っていい。道端で突然ラブレターを渡してきたことなんかまさにそうだろう。でも、俺にとってはそれが心地よかった。一見、大人しそうな見た目とのギャッブがつぼに入ってなんだかとても気に入った。
「まあ、過ぎたことだ。今更気にしても意味ないだろ」
 真剣な眼差しを向けてくる純子の肩の先まで滑らかに伸びる黒髪をゆっくり撫でる。昔は三つ編みに束ねられていた後ろ髪も今はまっすぐになって少女らしさは薄れたが清楚な印象は今も変わらない。髪だけじゃない、純子は出会った時からずっとそのままだ。
「だって、私が手紙を渡していなかったら文ちゃん……他の人と……」
 途中で言葉が途切れてしまったがその先は言わなくても分かる。そして、それはなんとも突拍子ない話だ。俺が純子からラブレターを渡されなかったら別の女性と付き合っていたかもしれないという、もしもの話。
「そんなことを今頃になって口に出すのは、多分お前だけだと思うぞ」
 過ぎた妄想だ。考え始めたらどうしようもない、くだらない妄想。
「乙女なら最初からこうなる運命だったって前向きに考えろよ」
「もう乙女って年じゃないと思いますが」
「自分で言うなよ」
 額に優しくチョップを入れてつっこむ。叩かれた純子は両手で軽く額を押さえ、はにかむ。純子も冗談を言うようになったのは喜ばしいが、純朴なところは変わっていないので天然ボケのようなことばかりなのが難点だがな。
「でも、文ちゃんの言うように、前向きに考えてみます」
「だから、それも今更だから」
 思わず苦笑いになる。そういうことは付き合いたての頃に考えるべきことだろう。いや、昔の純子はいろいろと余裕がなかった。おどおどしてこっちの言葉を鵜呑みにして、自分の意見をほとんど言わなかった。それと比べれば大した進歩だ。
「あの、文ちゃん」
 急に純子が力強い瞳を見せる。
「なんだ?」
「……また、しませんか?」
「またって……これをか?」
 俺たちを繋いだ一枚の紙。一度きりのプロフィール交換。
 今やってもあんまり意味がないような気もするし、今やれば当時出てこなかったような質問が浮かんで面白いかもしれない。一応の確認にもなるかもしれない。
 まぁ、どちらでもいいが――、
「今って確か、荷造りの途中だよな」
 ちらりと傍らに置いてあるダンボールを見る。机の引き出しからプロフィールの紙を発見してからすっかり忘れていたが、今は純子の引越し準備の途中、つまり、櫻井家の純子の部屋にいる。そんな状況でもなければ引き出しを開けてあの紙を発見しないだろう。
「そうでしたね」
 純子もようやく思い出したように自分の周りにある小物類に手をつける。そういえば俺は机の中身を出すために引き出しを取り外そうとしていたんだった。
 会話が止まる。だけど、それでいい。さっきまでの会話は本棚の整理をしている途中に本を読みふけてしまうようなものだった。余計に時間がかかってしまう。
 だけど……。
「やるなら、もうちょっと区切りのいい時にしようぜ」
 純子が振り返る。
「……そうですね」
 朗らかな声だった。
 やっぱり会話は止まってしまったが、それで良かった。やることはまだまだある。さっさと終わらせて、一息入れてもいいが次に進みたい。
 なにせ、紙に何かを書く作業は他にもある。
 できれば、あの時のようにすらすらとペンを走らせられればいいが、果たしてどうなるか、それは分からない。
 ただ、純子の顔を見ていれば、なんとなく上手く書ける気がした。













*あツいナつ 後日談*


 ミーンミーンとセミの鳴き声がやけに響いて聞こえる。扇風機はうるさく首を振っている。汗は滴り落ちている。俺は床に突っ伏している。
「……………暑い」
 絞り込んで出した声は我ながら情けない一言だった。
「暑いね……」
 だが、それは奈津も一緒だった。俺と同様、奈津も今日の暑さに参って床に突っ伏している。
 何度か知らないというか聞きたくもないが、予報だと今日は猛暑日らしい。いや、間違いなく猛暑日だ。もしかしたら最高気温を記録しているかもしれない。そんな日の午後三時過ぎ。 日が傾くまで、せめて四時までは休んでいよう。そう言って、俺と奈津は仕事も宿題も投げたのだが、このざまである。暑さ対策をいろいろしたもののあっさり負けた俺たち二人は敗北のポーズをとっていた。完敗である。冷凍庫にあった保冷剤は全てジェル状になってしまい、冷たい飲み水は底をつき、熱を発するパソコンの電源を落としても部屋の温度は変わらず扇風機は点けている意味があるのかと疑問視していた。
「なぁ……エアコン点けないか……」
「だ、だめ……」
 しかし、それでも奈津は強情を張ってエアコンの使用を許可しなかった。どう考えても辛い一刻も早く点けるべきだ。このままでは熱中症で倒れてしまう。いや、倒れているな。しかし、それでも奈津は我慢している。どう見ても平気じゃないが、大丈夫だと言っている。
「……シャワー浴びようぜ」
「だめ、さっき浴びたでしょ」
 シャワーを何度も浴びることも禁止された。どうせ夜に風呂入るから一緒でしょ、ということらしい。ちょっとくらい、いいだろう。
「いや、ほら、この格好なら水遊びって感じでいいじゃん」
 と言って俺は自分の下半身を指した。いや、変な意味じゃない。
 俺たちは今、水着を着ている。
 なんでそんなことになったかと言うと……なんだっけ。ああ、そうだ、思い出した。さっき、俺がシャワーを浴び終わってパンツ一丁で居間に行ったら奈津が「だから、そんな格好で歩かないでよ!」と叱ってきたので、むきになって水着をタンスから取り出して「これなら文句ないだろ!」と言ったからだ。最初は奈津も馬鹿にしてきたが、やがて自分がシャワーを浴びに行くと着替え代わりに水着を着ていた。「おいおい」と思わずつっこんでしまったが「お父さんが着ているなら私が着ても問題ないでしょ」と言われたので反論はしなかった。
 ちなみに、なぜか学校で使うスクール水着ではなく遊泳用のセパレーツタイプである。白を基本色として、上はフリルが付いており下はスカートとショーツが一体となっている。
「なんでそっちにしたんだ?」
「だって、学校の水着よりこっちの方が布地少ないじゃん」
 確かにワンピースタイプのスクール水着より上下に分かれているセパレーツタイプの遊泳用水着の方が布地は少ない。少しでも肌を露出して暑さを和らげたいと思えば当然か。
 だが、しかし……いずれにしろ、水着を着たことは失敗だった。結局汗は掻くし、締め付けるから普通の服より蒸れる。汗との組み合わせは最悪に抜群。トランクスタイプの俺でもそうなのだから、奈津の方はもっと酷いだろう。
「着るんじゃなかった」
 それが率直な感想だ。なんで俺は水着という選択肢を頭の中に浮かんで、選んでしてまったのだろうか。あほとしか言いようがない。
「はぁ……プール行きたい」
 奈津も思わず心の声をこぼす。まあ、そんな格好でいれば当然か。
「でも、「節約」だろ?」
 わざと意地悪く言う。奈津も分かったのかにらんできた。だが、それも一瞬のこと、余計な体力を使うと考えたのか脱力して床に体をあずけた。
「今度、友達と行けばいいじゃん」
 今度は茶化すことなく喋った。奈津は当然、俺以上に「節約」の二文字を守っている。この夏、何度も遊びに行っているがそのほとんどは友達の家に行って勉強会を開いているだけだそうで、お金を使う遊びは今のところ全然やっていないそうだ。友達も付き合わされて不憫だろう。自分で決めた小遣いがそんなに少ないのか?
「そんくらいなら使ってもいいだろ」
 だから奈津の強固な意志を少しほぐそうとした。別にそれで自分もちょっとくらいお金を使っていいように仕向けたわけじゃない。遊び盛りの子供に対する純粋な気遣いだ。最初は直ぐに投げ出すと思っていたら、もう八月も中旬になった。感心しているが、どこかで少し休んだ方がいいと心配しているのだ。
「もし、お金が足りないなら俺の小遣い、少しあげるよ」
 だから、つい口走るように言ってしまった。口にして数秒後、ちょっと後悔の念が広がったが本心でないと否定する気も起きず、続けなかった。
「うーん……」
 ここで奈津が飛び起きて「ホントにいいの!? やった!」と言えば俺も気持ちよく財布から残り少ない千円札を取り出せたのだが、悩まれると余計な感情がにじみ出てくる。というか、俺の小遣いの残金を知って奈津が渋っているように見えて、なんだか無性に情けなく思い、同時に「子供がいらない心配するな」と腹を立ててしまいそうになった。
「どうせ行くならお父さんと行きたい」
 しかし、奈津は俺の予想もしない言葉を発した。
「俺より友達と行った方が面白いだろ」
 直ぐに反論する。正確には、俺と一緒に行っても面白くないだろ、だな。
 だが、奈津は頭を振って、
「お父さんとがいい」
 と再度言う。
 これはどういう流れだろうか。暑さのせいか、さっぱり掴めん。
「まあ、お前がそれでいいなら構わんが……」
 働かない頭で少し考えてみたが結局、奈津の意図は理解できず、断るつもりはなかったのでとりあえず消極的な返事をしておいた。
 奈津は嬉しそうだった。
「じゃあ、お父さん、お金よろしくね!」
 満面の笑顔である。
 やられた。いや、どっちにせよ一緒か。
 俺はやっぱり働かない頭で小遣いの残金を思い出して、そして、できるだけ安い場所を見つけようと心に誓ったのだった。












*帰宅部 後日談*


 下駄箱に恋文というのは漫画やドラマの中だけのものだと思っていた、と千晶は見た瞬間に考えた。次に、本当に恋文だろうかといぶかしげに手紙を取る。宛名が書かれておらず、今度は差出人を間違えたのではないかと覚束ない様子で中を開けた。
 しっかり「工藤千晶」と書かれていた。
 ようやく手紙が自分宛てに出されたものだと確認できた千晶がまず思ったことは「鍵付きの下駄箱じゃなくて良かった」だった。果たしてそれは相手に対してなのか自分に対してなのかは判らない。
 千晶はとりあえず、それを鞄の中に入れてから上履きに履き替え、教室へと向かった。
 チャイムがもう直ぐ鳴りそうだったからだ。


 うかつに読み広げているとだれかに見られてしまう可能性があると考えた千晶は授業中にこっそり読むことにした。机の中で広げ、教師の顔と黒板の文字を窺いながら手紙を見る。千晶はまじめな人間で授業中に余所見をしたり落書きに熱中したり、ましてや眠ってしまったことなど一度もなかった。精々、窓側の席になった時、外の様子をたまに眺める程度。だからなのか、教師はもちろん他の生徒たちにも隠れて手紙を読むという行為でも千晶にはスリリングなことだった。
 ただ、手紙の内容はあっさりしていた。
『今日の放課後、よければ裏庭に来てください』
 なんとも微妙な言い回しだと千晶は感じ、少し肩を落とした。あまり魅力的な文章ではなく、文字そのものも丁寧に書こうとした努力は垣間見えるがかえって歪になっている。ただ、内容を簡潔に済ませたのは、これを確認した時点で大体の用件は把握していると考えたのか、ちゃんと自分の言葉で言いたいからは判断できないが良い判断だと思う。
 あれこれ考える千晶であったが、つまりは手紙を出されたことが嬉しく、また楽しんでいることには間違いなかった。その後も授業は上の空で差出人の予想や受け答えのイメージトレーニングなどをこっそりやっていた。
 しかし、昼休みなどクラスメイトと接する時はいつも通りの千晶だった。


 時が止まらない限り、その時は迫ってくる。本日最後の授業を終わらせるチャイムが鳴り、放課後となる。正確には帰りのホームルームがあるが、千晶は頭にその存在はほとんどなく、知り合いに告白の現場を目撃されないよう即座に行くかみんながいなくなってから行くか悩んでいる内に担任の教諭が現れて「あ、そっか」とつぶやいてようやく思い出すほどだった。
 相手がいつまで我慢するか試してみるのも面白いかもしれないと僅かに小悪魔の微笑を浮かべ、途中で諦めて帰ってしまったらまずいと考え直す。それにあまり待たせるのも悪いと思い直す。千晶は基本的には優しい子だった。
「工藤さん、帰らないの?」
 千晶の体が一瞬跳ねる。まるで居眠りから目覚めた時のような反応だ。自分が思っている以上に手紙のことに熱中しているようであると改め、クラスメイトに愛想笑いを見せてごまかす。
「ちょっと図書室に寄ろうと思って」
「そっか。工藤さん、よく本読むもんね」
 クラスメイトは納得したようで先に帰って行った。これで自分も一緒に行くと言ったらまずかったかもしれないが、そんなことを考えても意味がない。今は人目につかないよう裏庭へ行くことに集中だ。
 いつもは気にならない人の目もが気になり、少し邪魔だなと思うのんびり下校する他の生徒が余計にうっとうしく感じる千晶だったができるだけ冷静であろうと心がけた。自分でもこんなに緊張するのだから送った相手はそれこそ心臓が飛び出すほどだろう。そして、いざその時がきたら本当に飛び出すのではないかという不安がよぎる。
 どうもいけない。
 昔から家族にお前はマイペースな人間だと言われ、自分も認めている千晶にとって、ここまで心が乱されることは非常まで珍しい。朝、下駄箱で手紙を発見した時は冷静でそのあとも比較的冷静だった。いや、今にして思えば、それは現実味が感じられなかっただけだったのだろう。
 ――だけど、同時に今までにない感覚で、ちょっと楽しい。
 やっぱり自分はマイペースな人間だと千晶は思った。


 裏庭というからにはやはり、あまり人が寄り付かない場所である。千晶も裏庭を訪れた経験はほとんどない。オリエンテーションもかねた学校案内か何かで一度見て、あとは授業か何かで訪れたかどうかといったところ。用いる生徒もいるとの話だが、あいにく千晶の周りにはいなかった。
 放課後になって少し経ってしまったがようやく着いた――と思ったら千晶は建物の陰に隠れてしまった。本当に相手がいるかどうかの確認だろう、こっそり裏庭を覗く。
 そして、現実だと知る。
 裏庭に一人で佇んでいる男子生徒を発見した。背はそこそこ高いが全体的に細い。どこか子供っぽい顔つきをしていて、おそらくは下級生だろうと千晶は予測した。
 ……はて、自分に下級生の知り合いはいただろうか。
 それまで緊張していたはずの千晶は、手紙の送り主と思わしき男子生徒を見た途端、なぜか冷静さを取り戻した。どういう心の機微か千晶自身も分かっていない様子だったが、いつも通りの自分でいられるということは悪いことではないと深く考えないようにした。
「やあ、こんにちは」
 深く考えないようにした結果なのか、千晶は実にあっさりと男子生徒の前に姿を見せた。そこには先ほどまでの推量はどこにもなく、物陰に隠れていたことすら全くなかったかのような態度だった。
「こん、にちは!」
 一方、相手の男は異様に緊張している。いや、当たり前か。というか予想通りか。しかし、千晶は何も言わず相手からの言葉を待つことにした。
「はじめまして、一年の秋山圭亮といいます!」
 覚束ない姿ではあったが、一生懸命に自分の名前を口にする様はなかなか可愛かった。さて、次はどうくるか。
「あの、ありがとうございます!」
 そう言って秋山という男子生徒はいきなり頭を下げてお礼を述べてきた。突然どうしたのだと少し考える。導き出された答えは――ここに来たこと、だろうか。
「ううん。私もラブレターなんて初めて見たから、結構嬉しかったわ」
 言いながら右腕に所持している鞄の中から例の手紙を取り出す。自分は何もかも理解してここにいるということを相手に伝え、自分も貰ったことにある程度の感謝はしているとそっと返礼した。
 これで恋文じゃなかったらそれはそれで面白いなあ。
 土壇場でもしもの話を思いつくのは余裕がある証拠か、それとも微かに勘違いかもしれないという不安があるのか。ただ、思うだけなら問題ない。
「工藤先輩にそう言っていただけたなら、僕はもう悔いはないです」
 確かにそれは勘違いではなかった。なかったが、随分大げさな少年だと千晶は気が抜ける。まだ返事も何も言っていない。せっかちなのか初めから玉砕覚悟だったのか。
「ねえ、秋山君」
「はい! な、なんでしょうか?」
 少し相手の肩をほぐすついでに判断材料を増やそうか。
「私のことが好きなんだよね?」
「は、はい! そうです!」
 自ら「好き」という単語を口にするとは思っていなかった千晶自身だったが、それ以上に相手よりも先に自分がその言葉を使うとは意外だったと少し驚いた。無論、それは顔には出さない。
「私のどこが好きなの?」
 気になっていたことの一つ。また、これなら相手もすんなり答えられるだろうという予測。
「え、えぇ。それはですね……えぇっと……」
 ところが全く答えられなかった。それほどまでに緊張しているということだろうか。これくらいは明快に答えてほしかったと残念がる千晶だったが、落胆の色を見せれば相手がどう感じるか考えて笑顔でいようと努める。
「すみません、正直に言います」
 前置きと一呼吸をはさみ、
「見た目です」
 出された答えは単純明快だった。
「それもそうよね」
 手を口元に当てる。彼の姿を見た時から頭の中でゆっくりと、過去に彼と接触した記憶がないか千晶は調べており、今も探していた。しかし、覚えがない。また、目立つようなほとんどしたことない。それなら気に入った理由は限られてくる。ゆえに千晶は落ち着いていた。
「すみません……」
 秋山は謝ってきたが、謝られるようなことはしていない。おそらく、なんとなく言いたくなったのだろう。もう少し自信にあふれた態度も見てみたい。
「でも、見た目と言っても単純に外見ってわけじゃないんです!」
 言い訳を始めるように彼は言った。一言でまとめたはいいがそれではあまりにも率直すぎると感じたのか、まだ言い足りないのかは判断できなかったが、続きが気になったので先を促した。
「その、今まで工藤先輩のことをずっと遠くから見てたんですが、なんていうか、工藤先輩って落ち着いてて、大人っぽくて、ちょっとミステリアスな感じがあるんです」
 それならよくクラスメイトとかにも言われる、と千晶は口にしようか迷った。やっぱり自分の印象はそんな具合なのだろうかと再確認する程度だった。だから、喋らないことにした。
「だから、話してみたくなったんです」
「というと?」
「自分と一つしか年が離れてないのにどうしてあんなに大人っぽいんだろうかって気になったんです」
 なるほど、彼のコンプレックスはそのあたりか。千晶は全然違うことを考えた。
「でも、自分と一つしか違わないってことは、自分と似たようなところもあると思ったんです」
「ふふ、そうかもね」
 思わずちょっとだけ笑ってしまった。でも、それは相手を馬鹿にするものではなく、とても素敵な思考だと感心したからだ。
「だから、工藤先輩とお近づきになれたら……なんとなく面白そうだなって思ったんです」
「自分とは違う部分と自分と似ている部分、その両方が見られるから?」
 そんな感じです、と秋山少年は頷く。
「それなら他の人とでも変わりないと思うよ」
 わざと嫌な言い方をしてみた千晶だったが、秋山は動揺しなかった。千晶にとっては予想外の反応だったが、それはそれで面白いと改めた。
「……僕も最初はそう思いました」
 秋山の目がより真剣になり、言葉を溜める。最初の頃にあった緊張の震えも気付けば治まっていた。もう、彼は怖気ついていない。その表情と姿勢に千晶は少し見惚れた。先ほどまで少年だった子が急に青年に見えて、なんだか楽しく感じたのだった。
 ところが、それは長続きせず、
「でも、その、なんていうか……」
 言葉に詰まってしまった秋山少年は少し言葉を巡らせる。
「やっぱり、工藤先輩がいいなって思ったんです」
 だけど、出された言葉はとても清らかだった。
 そう、恋に意味や理由を求めても仕方ない。いいなと感じてしまったなら、好きだと思ってしまったらならあとは自分や相手を納得させるための心の整理。根っこはとても単純。
 それならば、自分の感情にいちいち説明付けをしなくても問題ない。
 気付けば、千晶の口元は緩んでいた。
 自然と右手が伸びていた。
「先輩?」
「私も、君に興味がわいてきた」
 秋山の両目の瞳孔が開く。全く予想していなかった一言らしい。そして、一瞬だけ泣きそうな表情を見せたと思ったら、最後は破顔していた。
 秋山も右手を伸ばす。
「だけど、こういう場合は、まず、お友達から……というのが一般的なのかな」
 千晶が先手を取る。秋山の手がとっさに跳ねたが逃がしはしなかった。
「いえ、それでも僕は……嬉しいです」
 千晶の言葉をかみ締めるように言葉を継ぎ、ようやく握手が成り立った。秋山の手は柔らかい感触もあれば少し硬い部分もあった。つまり、これから成長していくのだろうと千晶は想像する。
「よろしくね、秋山君」
「こちらこそ、よろしくお願いします。工藤先輩」
 この形は秋山の望むものだったかは、今は分からない。しかし、秋山の顔はとても晴れ晴れとしている。本当に悔いのないような表情で、それは千晶に影響を及ぼすほどだった。


 初めて知り合った二人の初めての下校。
「あの、工藤先輩って何か部活動をしてますか?」
「ううん。帰宅部だよ」
「そうですか……」
 隣を歩き、今、少しうな垂れた秋山に千晶はどう言葉をかけようか悩んだ。
「実は僕、卓球部に入ってまして……」
「ああ、それなら」
「ですから、その、部活がある日は……」
「別に平気よ。待つわ」
 千晶の即答に秋山が仰天する。千晶の顔を見て、それから明後日の方向を見て、もう一度千晶の顔を凝視した。その一連の流れに千晶が思わず笑ってしまった。
「暇だし、大丈夫よ」
「あの、でも」
「それよりも」
 うろたえる後輩に言葉を紡がせないよう、話を先に進める千晶の目は光る。
「秋山君」
「は、はい!」
「……あなたのペースで構わないから、私を楽しませてね」
 そう言って秋山の顔をのぞく千晶の表情にはコケティッシュな魅力があった。その魅力を存分に感じたのか、秋山は首から上を紅葉して立ち止まってしまった。
 くすくすと千晶が笑う。
「無理はしちゃ駄目だよ」
 なぜか実際の年齢以上の年の差を感じる雰囲気だった。だからか、秋山少年は背を縮ませてぼそぼそと「努力します」とだけ答えるに終わった。


 ところで、この話は七月の中旬であり、夏休みはすぐそこに迫っていた。
 千晶との素敵な帰り道を共に歩き、やがて別れた秋山の脳内には「出鼻」の二文字が他の思考を許さないくらいほど印象的に浮かんでいた。
 ぽつりと秋山が嘆く。
「頑張らないと……」
 一体、彼が何をどうこう頑張るのか。
 しかし、それはまた別の話である。












*カカオ何パーセント 後日談*


 現在製作中...
 諸事情により掲載を断念しました。









ここまでのお付き合い、ありがとうございました。

2011/8/21
水木 真



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