―二月―
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前回の更新から一ヶ月経つ……、あると思います!
正月ボケを通り越したナニか……、あると思います!
書くことはあるけど気がない……、あると思います!
・ ・ ・ ・ ・ ・
と言うのは置いて。
というか、最後の「気がない」を通り越した出来事がありました。
そんな訳で、こちらへどうぞ。
まぁ、そんな訳でボランティアに行ってきました。
友人「今度の休み、宮城行くんだけど一緒に行かない?」
僕+友人1名「……お、おぅ」
そんな訳で、正直そこまで行く気はないし途中で面倒臭くなってきたからやっぱりやめようかと思ったけど折角だしということで行ってきました。計三人、金曜の夜中からレンタカー借りてブーンと六時間くらいかけて行ってきました。深夜の高速は初めてではありませんが、プラス雪は初めてでした。ちなみに帰りも降られました(その時は友人が運転したけど)。
向こうに行って何をやるかは全く知らず、
最初は雪かなと思い、ハラハラドキドキしていましたが、違いました。
震災(津波)の被害にあった学校の体育館に集まり、そこに運ばれた支援物資を、午前中はやって来たトラックに詰め込む作業をバケツリレーのように、午後は残っていた物資を仕分けていました。お陰様で現在、絶賛筋肉痛でございます。
特設ページの写真にはほとんど写っていませんでしたが、物資はいろいろなものがありました。
毛布、服、組み立て式トイレ、自転車、水etc。
種類も数もたくさん。
その中で、午後の仕分けは主に服でしたが、これがまた酷かった。
とりあえず、ダンボールに3月とか4月って書いてあるんですよね。
そして、「新品」と書かれているのに中を開けると中古、もしくは逆。
僕「なんでこんなことに?」
ボ「行政が何も考えずとにかく集めて送ってくるから。チェックも適当だし」
そういえば東京都もそんなことをやっていたっけ……。
なんかごめんなさい、と思わず言ってしまいました。
とにかく、サイズがバラバラのダンボールを、
一度チェックされているはずの物を開けて中身を確認して、それから仕分けしていました。
人はそこそこいましたが、それでも結構な量でした。
僕「送ってくる人も、善意で送っているからまた困りものですね」
ボ「いや、悪意たっぷりの物もあるよ。生ゴミ入れてきたり」
どこにでも暇な人がいるんだなぁ、と思いました。
まぁ、ボランティアの方々も暇な人と言えばそうかもしれませんが、ね。
それで、その日の作業が終わって自由時間になった時に初めてカメラを持ち出しました。
さすがに作業中は撮れず、また、どこか別の場所へ撮りに行くこともできませんでした。
まあ、そんな感じで観光的要素はぜろ。名物とかも一切、口にせずトンボ返りのような感じ。
いいんです、目的はボランティアなんですから。
・ ・ ・ ・ ・ ・
と、まぁ、そんな感じで、わずか一日だけの短い体験でした。
ですが、たった一日だけでも結構考えさせられました。
友人ともいろいろ語り合いました。
とりあえず、うだうだ考えて何も動かないことが一番よくない、と思いました。
はい、それで、まさに私の普段です。
オチとしては微妙だけど、そういう話じゃないので。
まぁ、そんな訳で、このあたりで。
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一応、ひと通り終わったので書きます。
先日、2月8日に一緒に住んでいた父方の祖母が天寿を全うしました。
九十歳でした。
まぁ、去年の秋くらいに入院したのですが、それくらいから心の準備はできていたので、
通夜や告別式で泣くことはありませんでした。兄も。堪えきれなかった人もいましたが。
祖母の死はおそらく誰もが願うけど、ほとんど叶うことのない、
自宅で眠るように息を引き取るという形でした。
……近くで寝ていた叔母が夜中に声が聞こえず、朝、起きて見たらもう、ということなので多分間違いないと思いますが、死因もいわゆる老衰とのことで――苦しんではいましたが――悪い方ではないと思います。
自分もそんな風に人生を終えられたらいいなあ。
心残りがあるとすれば、もうちょい介護を(父・母・叔母の三人で足りていたみたいだけど)
積極的にやれば良かったかなってことと、ひ孫を(以下略)。
・ ・ ・ ・ ・ ・
それから、たぶん僕の気のせいだと思うのですが、亡くなる数日前、
お昼のバイトから帰ってほとんど喋ることがなく調子がよくても一言二言になった祖母に
「ただいま」と言った時、まぁ、祖母は喋らなかったのですが、目を大きく開けてこちらを見て、
「もういいかい?」
と目でいってきたような、伝えてきたような気がしました。
そして僕は、
「もういいよ」
と頷きながら目で伝え返しました。
まあ、気のせいですよね。
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他にもいろいろ書きたいことがあったような気がしますが、
何を書きたかったのかごちゃごちゃになり、
まぁ、まとめきられないだろうし、長くなるだろうし、
なんだかんだで疲れたので止めておきます。
ではでは。
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8日に亡くなった祖母に関しては、あとはもう来月に納骨があるくらいなものです。
そんな訳でだいぶ落ち着いています。まぁ、元々そんなに慌てていませんが。
ただ、一度だけ、バイト中に全然知らないおばあさん(お客様)が娘か嫁に連れられて車椅子に乗りながら入ってきて、非常におぼつかない様子で食べている姿を見た時「あぁ、うちのおばあちゃんも半年くらい前はあんな感じだったのになー」とうっかり考えてしまいました。
まぁ、それくらいです。たぶん。
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それはそうと、季節の変わり目になってきたからでしょうか。
おめめはまだだいじょうぶですが、おはながつらくなってきました。
花粉症+アレルギー+季節の変わり目は死ねる。
まぁ、とりあえず一回、体調崩しました。
風邪だったかもしれませんが。
それから、背中の左肩の下あたり(左肩甲骨?)が最近痛いです。
最初は割りとしゃれにならない痛さでした。
なんでしょう、ついにガタがきたのかもしれません。
……寒さで血液の循環が悪くなった?
いずれにせよ、ポンコツボディには困ったものです。
いっそ、ティップネスでも行くか?
そんなお金(と時間)ないけどね!
2 / 29 |
正直、雪が降るとはしゃぐタイプなので嬉しいです。
まぁ、それはおいて。
先日、(母方の)祖母が夜中に具合が悪くなったとの話を聞いてお見舞いに行きました。
さすがにこのタイミングでそんな事があると不安にかられてしまいましたが、無事でした(笑)。
それから、お茶を飲みながら祖母と話をしていたら、隣に住んでいる叔父が仕事から帰ってきまして
見舞いの品として買って持って行ったいちごを(祖母の指令により)おすそ分けしに行ったら
「まぁ、ゆっくりしていきなよ」(この時、おおよそ五時前)
と言われ、叔父夫婦とのんびり話し、いつの間にか晩ご飯も頂いていました。
気付けば結構な時間で、家を出たのは四時くらいでしたが帰宅したのは十一時前でした。
……はて、私はなにをしに行ったんだっけ?
・ ・ ・ ・ ・ ・
とはいえ叔父夫婦以外にも従兄弟が三人(全員男)がいたので
従兄弟たちともちょこちょこ話をしましたが、なんでしょうか、
叔父夫婦と話していた方が、話が盛り上がりました。
まぁ、従兄弟たちはそんなにベラベラと喋るタイプではないし(ついでに難しい年頃?)
学年末テスト前だったり入試終わったばっかりだったりというのもあるのでしょうが、
おそらく自分はもう「大人」で従兄弟たちはまだ「子供」だからではないかと思いました。
年は従兄弟たちの方が近い(十歳前後)のでしょうが、そこの違いも関係あるんじゃないかと。
……大人っていうかおっさん臭くなってきたことかもしれーぬ。
ちなみに、別に従兄弟との仲は前々から特別悪いということはないです。
あぁ、でも、昔はあんなに可愛かった奴らが……ぐすん。
それと、入試があったのは次男で、
私立は既に合格済みだったのですが、
無事、都立も合格したそうです。やったね。
これで残るは三男(春から中二なのでもうちょい先)だけだ。
……でも、あいつ、一番ばかだからなー。不安だ(;´Д`)。