おふろのおはなし

水木 真  

 岸崎(きしざき)あかりは、お風呂が好きだった。少なくとも人並み以上に。それは女の子っぽい理由もあるだろうし、単純に湯船に浸かっているだけで気持ち良いからだろう。本人は半身浴を好まず、余り認めていない事から、割とマニアックな面が強いのかもしれない。
 とは言え、日本人としては決しておかしくない。観光地に温泉が今でも人気を誇り、それは決して還暦を迎えた辺りの人たちだけではなく老若男女に愛されている。
 そんな普通の彼女が、大好きなお風呂に入りながら、溜め息を付いている。口を少しでも湯に沈めてしまえば、ぶくぶくと小さな泡が現れ、ある程度密封された空間故に音がよく響いて聞こえる。
 原因は一つ。女の子らしい悩みだ。
 あかりには好きな人がいる。同じ学校の同じクラスメイトの国城雪人(くにしろゆきと)だ。そして、偶然にも、彼もまた、お風呂が好きな一日本人だった。
 それは幸か不幸か。自分の想い人が自分と同じ趣味嗜好であるなんて、余り無いと言えばそうかもしれない。
 あかりは勿論、その事をきっかけに少しでも仲良くなろうとした。本人的には頑張ったつもりだった。しかし、結果は決して芳しくなく、結果が出なければ過程など意味が無い。最近の世の中もそんな感じなのかな、と少しおかしな悲観をしながら帰宅する日々。
 そして、よく考えれば、お互いに風呂好きとは言っても、それまでであった。
 あかりは別に温泉巡りをしたいとまでは思っていない。
 雪人も、風呂好きとは言っても近所にある銭湯へ行く事が精々で、今現在は半月に一度程度だが、将来は毎週必ず一回は行きたい、と言う何とも素敵な、小さな夢だった。
 その話を聞けただけであかりはちょっと満足気味だったのだが……、そう、そこで最後だった。
「ぶくぶくぶく(はぁ……)」
 今夜、何度目の溜め息か。
 決して不細工と言う程でも無く、お腹周りなどが他の人の目からでも気になる様な体でも無いあかりだが、不貞腐れた顔をしながらボーっとしていては、最早、壊れたジャグジーと差異が無い。
 普段は至福の一時であったはずのバスタイムも、好きな人の事を半強制的に思い出してしまう空間ならば、それは軽い拷問部屋とも捉えられそうだ。
 どうにかして接点を持たなければ雪人との関係はこれ以上縮まらない。
 段々と、自分が自分を苦しめる悪循環が始まり、自身を苛立たせる。そこで直ぐ切りかえられるなら、と思っても、出来るならこんな悩みを抱いていない。
 そんな、何度目かの全く同じ自問自答内容。
 考える事すら馬鹿らしく、そして疲れてきてしまい、手もすっかり自分の何十年後のものになってしまった。
 ……少し休憩しよう、何も考えないようにしよう。
 まるでそこが自分のベッドかの様に、あかりは目を瞑った。
 閉じて、ふ、と変な感覚に襲われた気がして。
 次にあかりが目を開けた時。
「え……」
 風呂場ではなく、異世界だった。
「……夢、か」
 早くも答えに至ってしまったあかりだが、確かに夢以外に説明のしようが無かった。
 地面はやけにカラフルな土だが、空は何処までも先が見えない水色なのでまだ現実世界に近いと思われる。しかし、下が虹みたいな配色で凄い事になっているのに、上が割りと普通の景色だと返ってアンバランスに思えてしまう。
 それに、空中に大小様々な大きさのシャボン玉が飛んでいる。何処から発生して、何処まで飛んでいくのか分からないが、兎に角、天には所々綺麗なシャボン玉が浮遊していた。
 きっと自分は長湯をし過ぎて倒れてしまったのだろう。
 そう、物語のオチを先に言ってしまう酷い人になってしまったあかりは、故に冷静だった。
 視点を上下から左右にするまでは。
「……………え」
 あかりの左に、少し距離は離れているが、もう一人、ヒトがいた。そして、その人は、自分のよく知っている人だった。
 国崎雪人。
 もうこれは確実に夢だ、出来すぎた夢だとちょっと灰色に染まった心が無情に判断する。
 ――しかし、一つだけ忘れていた。
 いや、薄々は気付いていた。
 けれども、周りの異様な景色を見ていて自分自身を見ていなかった為、しっかりとは認識していなかった。
「……………あ」
 どちらが発した声か判らず、もしかしたら両方がそんな事を呟いたのかもしれない。
 但し、その後に続いたのは声にならない叫び。そういう意味では、続かなかったのか。
 二人は、共に全裸だった。
 例え独りでさえ思わず隠してしまうそれぞれのとある局部を、異性が、それも同じ教室で顔を合わせている男女が葉っぱ一枚すら身に纏っていなかったら、どうなるかなんて誰でも予想出来るだろう。
 なお、決して、本能とかそういう類ではない。
「き、岸崎さん、だ、だよね?」
 先に話しかけたのは雪人。
「う、うん、そうだ、よ! え、えと……国城君」
 ただ、お互いに背を向けている。
「これは……夢、だよね?」
 声は二人とも若干裏返ってしまっている。
「う、うん! 夢に決まっているよ!」
 そうでなくては困る。とはどちらとも言わなかったが、どちらとも心の中で言った気がした。
 あかりからすれば、夢の中で見た事ある人の見た事も無い姿を見て、しかも、向こうからこれは夢かどうか質問されてしまい、もしかしたら自分は重症なんじゃないかと、あらぬ疑惑が焦りと汗と共に湧き出てくる。
 自身の鼓動の音と相手の声しか聞こえない現状を打開するにはどうすれば良いのか、混乱している頭で幾ら考えても浮かぶはずが無く、目の前に広がるヘンテコワールドを見てもヒントになりそうな物は何一つ無い。
 一先ずどちらかが動かずに待機していて、もう片方がその間にこの辺りを歩いて他に人がいないかどうか探すしか無いか、とあかりがようやく案らしきものを出し、それを口にしようと少しだけ振り返ろうとした。
「あわわ! だ、誰ですか、あなた達は!?」
 しかし、あかりの口は余りの衝撃で開いたままだった。
 あかりが首を少し回すと、雪人との間の、先ほどまで誰も何もいなかった所に……とりあえず生物がいた。
「はっ。も、もしかして、『せいれいのくに』の者ですか!?」
 一応同じ言語を喋っていると思われる謎の生物は、何やら慌てた様子でこちらに問いかける。
 その生物は、まるで大きなシャボン玉が二つくっ付き、その周りに小さなシャボン玉が丁度人間と同じ手足になる様な身体をしていて、目や口も丸い。見る人によっては何かのマスコットキャラクターかもしれないし、紫色に染めれば珍妙な形の葡萄にも思える、明らかに地球外生命体だった。
 でも、あかりは、ちょっと可愛いかも、と思ってしまった。
「『せいれいのくに』の『せいれい』って漫画とかおとぎ話に出てくる精霊の事? だったら僕らは人間だから、多分、それらとは違うと思うけど」
 落ち着いて返したのは雪人。相手の体はおいて、相手の声が可愛くて少し幼い感じで、何やら怯えている様子なので逆に冷静になれた様だ。
「に、人間の方々ですか! それは失礼しました!」
 威勢よく謝る謎の生物。一応、大きなシャボン玉っぽい体の上部を下げてお辞儀らしき行為をした。
「私はこの『おふろのくに』のユーリィと言う者です」
 丁度あかりと雪人の真ん中で、謎の生物改めユーリィは元気に自己紹介をした。
「お、『おふろのくに』……?」
 先ほどの『せいれいのくに』も謎だったが、今ユーリィが言った『おふろのくに』も十分謎である。とりあえず、国である事は間違えないだろうと思われる。
「はい、私たち『クピ』と言う種族が住んでいる国です。その名の通り、お風呂が沢山あるんです」
 温泉じゃなくてお風呂なのが、その人の見る夢らしいのかは定かでは無いが、まんまだった。
「と言う事は、『せいれいのくに』は精霊さん達が住まうお国で良いのかな?」
 それはまるで、自分が思っている事を殆どそのまま雪人が喋っているかの様に、あかりは思えてしまった。
「はい、その通りです! 凄いですね、……えっと」
「ゆきと。国城雪人。よろしくね、ユーリィ」
 雪人とユーリィはもう打ち解けたのか握手をした。最初は『握手』が出来るのかどうか戸惑った雪人だったが、ユーリィから差し出された右手を拒否する事は出来なく、触れて破裂したり潰れたりする事の無い様に優しく握った。
「わ、私はあかり! 岸崎あかり」
 慌てて自分も自己紹介をして握手を求めようとしたが、あかりは雪人と違い両手を使って隠しているのでどちらの手も離せなかった事態を忘れていた。
 ユーリィが右手を差し出しながら困っていると、雪人がようやく気付き、急いで目を瞑りながら違う方向を向く。
「よ、よろしくね、ユーリィ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、あかりさん」
 ユーリィだけ丁寧な口調で話すが、恐らくそれは彼女(?)自身の気質か癖なんだろうとそれ以上は思わず、けれど、もう少しフレンドリーが良いかな、なんて思う程、あかりはようやく余裕を取り戻せてきた。
「そ、それでさ、ユーリィ。布とか、何か体を隠せる物って無いかな?」
 未だ目を瞑りながらあかりとユーリィが見える方向とは逆の方向を向いている雪人が、軽く咳払いしながら話を続ける。
「布……ですか」
「うん。布じゃなくても良いけど、と、とりあえず、裸のままはちょっと……ね」
 声だけで赤くなっている事がありありと分かる雪人の言葉を聞いたユーリィが、その瞬間、ハッとした。
「そうですよね! 人間の皆さんは何時も洋服を着て暮らしていると聞いていましたし、『せいれいのくに』の方も何時も服を身に纏っていました!」
 本人としては初めて人間と言う、話には聞いていたけど実際に見た事は無かった生物だったのですっかり忘れてしまっていた感じだったが、現状の二人の仕草とかで察して欲しかった、とはどちらも言わなかった。
「あ……でも、私、今、任務中でした……」
 キラキラした丸い瞳に若干の澱みが生じてしまい、ユーリィの声は途端に小さくなってしまった。
「任務中って?」
 雪人が子供に話しかける様な口調で訊ねる。
「はい、私はこの国の大臣で、国の重大任務を任されているんです。」
 人間から見たら犬や猫と背丈が余り変わらないユーリィがまさか国の重要人物であるとは、先ほどのはきはきした口調もあいまって、全く思えなかった二人だったが、それには決して触れる事なく、話を進める。
「その任務の内容って?」
「実は、今、私たちの国のお風呂が使えないんです……」
 重大任務と言う程だから、物凄い事態だと少しドキドキしていた分、思わずズッコケたくなる衝動とツッコミたくなる衝動が二人の体中を走ったが、後先を考えて何とか抑えた。
 幾ら自分がお風呂好きで、これが夢でも、それは無い。
「す、すみません、お風呂が使えないと言うよりも、水が汚れてしまってどうしようもないんです」
 しかし、途端にきな臭くなった。
 水が汚れる事は人間に限らず殆どの生命にとって重大な事だ。『おふろのくに』と言う位だから、お風呂が重要な位置にある事は一応予想出来るが、それ以上に『水が使えない』と言われれば誰でも事件だと納得出来る。
 もしくは、あかりと雪人用に言い直した、か。
「原因を調べました所、この先の川の上流にある『せいれいのくに』が何かしてしまったのだと判断しました」
 残念そうに、しかし少し怒りを交えながらユーリィは語る。
「私たちと『せいれいのくに』の方たちは仲が悪いと言う訳ではありません。けれども、私たちの暮らしを脅かす原因があちらにあるのであれば、それは、黙っている事は出来ません!」
 その時のユーリィは確かに大臣だった。国を背負って生きている者の、力のある眼だった。
「……じゃあさ」
 そこであかりは言葉を止める。
「僕たちも、一緒に付いて行って良い?」
 続けたのは雪人。
「――え?」
 戸惑うのはユーリィだけ。
「なんて言うか、ここは私たちが手を貸す場面なんだろうなぁって思っただけだよ」
 少し諦めて渋々するかの様に、あかりは言った。
「まぁ、困った時はお互い様ってね。僕らが役に立つかは微妙だけど、僕らが手伝わなかったら大惨事にならなかった、なんて事は嫌だから、ね」
 あかりのフォローをするかの様に、雪人は言った。
「……あかりさん、雪人さん……」
 ユーリィは二人の言葉に目を潤わせる。
「だから……」
 それを見たあかりと雪人は続ける。
「早く、着る物を、下さい」
 あかりと雪人は結構良いコンビかもしれない。
 ……それから、ユーリィは二人が着られそうな物を探しに一旦国へ戻ってしまった。
 ユーリィがいたからこそ出来た雰囲気だったのか、二人きりに戻れば、再び沈黙が訪れる。
 話す事をろくに決めず話をしようとしてしまい、逆に何とも言えぬ空気が漂う破目になってしまった。それをしてしまったのはあかりで、雪人はそのフォローをしようと何か話をしようと思ったのだろうが、結果としてはあかりと同じ事をしていた。
 さっきまで息の合った仲だっただけに今の遠慮し合う関係が、あかりは勿論許せなかった。折角、雪人と自然と仲良くなっていたのに、それが幻だったかの様に思えて悲しかった。
 それでもユーリィが来るまで何とか会話をしていようと努力はしたが、結局、一度も出来ずに終わってしまった。
 やはり、どうしても意識してしまうからだろうか。
 無理も無いかもしれないが、辛い事ではある。
「お待たせしました〜!」
 けれども、ユーリィが持って来た服を着れば、さっきよりかは、多少なりとも、話せられる。
 そう思っていた。
「すみません、私たちの国には人間の方がいらっしゃらないので、昔、精霊の方がこの国に置いて行った物しか無かったです……」
 ユーリィが持って来た物を見るまでは。
「でも、これで裸ではありませんから、大丈夫ですよね!」
 あかりと雪人が一応立ち上がった事を見るとユーリィは気合を入れ直した。
 確かに自分自身が裸であると認識した瞬間よりかはまだましかもしれない。ユーリィが先ほど言った様に、人間と『クピ』では着る物も違う(そもそも『クピ』は『服』と言う物を着ているのか、とても怪しい)のだから、無かったかもしれない。最悪の結果と比べれば天と地の差だろう。
「う、うん……そ、そうだね……」
 だが、まさか、水着が来るとは思わなかった。
 それも、ビキニ。
 『せいれいのくに』の精霊は、一体どういう意図で水着を『おふろのくに』に譲渡したのか果てしなく気になるあかりと雪人ではあったが、背に腹はかえられず、また、わざわざ取りに戻ってくれたユーリィにも申し訳なくて文句を言う事は出来なかった。
 後は、『せいれいのくに』に一刻も早く辿り着き、そして、なんとしてでも普通の服を手に入れる事だった。
 既に、二人の目的が変わってしまっている事に、ユーリィは知らない。
「それでは、出発しましょう!」
「おー……」
 ユーリィの明るくて元気な檄(げき)に、二人は返事をした。
 それから、まだ見慣れたとは言えない摩訶不思議な世界を、一匹の『クピ』が先導して歩く。その光景は、まさに夢だ。
 また、お互い、水着姿である。水泳の時間で見た事はあるが、それでも女子は普通のスクール水着だし、男子はブリーフ型なので、ここまで肌を露出した姿を相手に見せた事は無い。同じ水着姿だから大差無いかもしれないが、そこはビキニ型の成す魔術かもしれないし、単に同年代の異性が水着姿で近くにいるだけでドキドキしてしまうのかもしれない。
 まして、雪人は兎も角、あかりは雪人の事が好きなのだ。幸でもあり不幸でもある。
 雪人はどう思っているんだろう。
 あかりは自分のプロポーションを見ながらそんな事を考えていた。それが女性としての自尊心か、好きな人の前で心の準備もせずこんな姿を曝け出すなんて、と言う、男性が聞いたら結構嬉しい感情なのか。
 どれか一つだけでは無く、全て混ざって混ざって、混ざりまくった感情が、二人の沈黙を引き立てる。
「お二人と私では一歩が全然違いますねー」
 ユーリィだけが喋り、そして少し走っているが、人間たちはそれどころでは無いみたいだ。
 最早、頭の中に『沈黙』なんて言葉は無いのかもしれない。あかりも雪人も自分の事ばかり考えていれば、それは必然であり、沈黙とはちょっと呼べない。
 だからなのか、ユーリィが、着きましたよ、と息を荒くしながら言って、初めて着いた事に気付く。
「え、もう……? 早いね」
 あかりの中ではものの数分で、妙な感覚であったが、自分が道中何をしていたかを振り返ると、少しだけ納得した。
「本当はもう少しかかるのですが、お二人が凄い速く歩いていたので、私も頑張って走って付いて行きましたら、時間をかなり短縮出来ました」
 息を落ち着かせながら、ユーリィは嬉しそうに語る。
「まさか、お二人がそこまで意気込んで下さっていたとは思いませんでした! 途中の会話が殆ど無くてちょっぴり残念でしたが、でも、それ以上に嬉しいです!」
 喜びの笑みを隠さずに喋る『クピ』の重要人物に、思わず人間の二人は顔を逸らしながら苦笑いをしてしまう。
 『クピ』と呼ばれる者たちは、皆こんな感じなのか。
「ところで、ユーリィは大臣で国内じゃあ偉い人なんだよね。でも、普通こういうお仕事って大臣とかはやらないと思うんだけど……」
 雪人は己が抱く、直接訊ねるには失礼な疑問を、遠回しで質問していた。偵察やそういう事はもっと位が下の、使者やそういう人がやるものだと思っている。
「いえ、これは国の一大事に関わる事ですから、私自らがこの国の様子を探りたいと志願したのです」
 突然燃える様な目つきをしながら熱く語り出す。
 そして、その言葉だけで十分だった。
「そっか……、ユーリィは偉いんだね」
 雪人はユーリィの意思を聞いて、思わず頭を撫でていた。
 一時でも、この、元気で明るくて、そして、真面目で正義感溢れる人を愚弄する考えを持っていた自分が馬鹿だった。
 突然頭を撫でられ困惑しているユーリィに対して、雪人は心の中で謝っていた。
「行こう」
 あかりも、同じ心境だったのかもしれない。それ故に、先ほどまでのもやもやが何処かへ吹き飛んでしまい、代わりにユーリィに負けない位の強い瞳を宿していた。
 もう、三人は友達で仲間だった。
「はい!」
 ユーリィが先頭に立つ姿は、もう不思議じゃなかった。
 『おふろのくに』の一行は意気揚々と『せいれいのくに』に入国する。一応、門と門番らしき人がいて、ユーリィがその人に話しかけると、特に何も起こる事も無く入る事が出来た。
 『せいれいのくに』は、それまでの夢色世界と比べたら、現実世界と疑う事の無い国だった。
 そういえば門の周りも色鮮やかな世界では無く、緑豊かな木々があったっけ、とあかりは思い出し、国の中を歩いていると、『せいれいのくに』は、簡単に言えば山奥の田舎だった。
 ただ、街中にいる人、もとい精霊の服装が着物っぽい服だったり、家の造りが平屋の、平安や鎌倉時代辺りにありそうな感じだったり、自分たちが住む世界とは時代そのものが違うのかもしれない。まだ少ししか歩いていないから、きっと何処かに畑でもあるのだろう、とある程度は想像出来る。
 また、精霊はあかりたち人間と外見は殆ど差が無く、しかし、中にはずっと地面から離れ、浮いている人もいる。それだけ見れば、確かに彼ら彼女らが人間ではなく精霊である事と認められるだろう。
「この国のお城は、この道を真っ直ぐ行けば着きますよ」
 ユーリィがガイドさんの様に語りかけてきた。あかりはそこで初めて、自分が周りばかりを見ていた事を自覚する。
「あはは、ごめんね。それと、そういえば僕らは『おふろのくに』には入らなかったけど、『おふろのくに』もこんな感じなの?」
 どうやら雪人も周りをキョロキョロ見ていたらしい。
 二人と一匹が歩いている道は商店街みたいな所なのか、店先に野菜や装飾品などが置かれていて、精霊もそこそこいる。
 一応、商品と思われる物の近くに小さな木の看板が置かれて何か書かれてはいるが、流石に日本語では書かれてはおらず、二人には読めない表語文字がただ並んでいるだけにしか見えない。
 ただ、二人にとっては時代劇のセットの中にいるかのような感覚なのかもしれない。
「いえ、私たちと精霊の方々は、姿からして違いますから、こんな感じではないですね」
 そう言われると、ユーリィたちが自分たちと似た様な生活をしているとは考え難い。どうやって畑を耕すのだろうか、と言うか、『クピ』と言う生物は一体何を食べて生きているのか、何を栄養としているのか、食に関する事だけでも色々謎めいている。
「この任務が終わったら、是非、私たちの国にも来て下さい。何せ、国を救って下さる方々なのですから!」
 まだ何もしていない、それどころか役に立つかどうか怪しいのに、ユーリィは既に二人を英雄の様に捉えていた。それだけであかりと雪人は少し照れてしまう。
「うん、ありがとう、ユーリィ」
 でも、ユーリィが嬉しそうに自分たちの方を見ながら言ってくれるのだから、無下にする事が出来るはずもない。だから、あかりはユーリィの笑顔に負けない位の表情を出しながら返した。
 とても任務とは思えず、ピクニックか何かと思わず間違えてしまいそうになる。
「あ、もうお二人にはもうそろそろお城が見えてくるかもしれませんよ」
 ユーリィがそう言って上を見上げ、二人も釣られて見上げる。そう言われると先の方に塔がある気がする。
 お城、と言われると洋風の城が一瞬頭の中に過ぎってしまったあかりだったが、即座に和風か、昔の中国の建物を想像した。幾らなんでも周りが木の家なのに、突如石の宮殿が出てくるとは思えない。
 自分が少し馬鹿な事を考えてしまったと自嘲した。
 と、その時。
「!?」
 ドカーン、と大きな爆発音がして、その場にいた全ての人が音のした方向を向いた。
 見れば、若干の煙が上がっており、それに続いて巨大な生物が出した足音と思われる音が続く。
「行ってみましょう!」
 ユーリィが即座に言い、二人も直ぐ頷いて走り出す。他の精霊も何事かと煙の上がっている方へ進んで行く。
 その中、明らかにユーリィは遅かった。本人としては精一杯走っているつもりなのだろうが、いかんせん歩幅に差があり過ぎる。浮遊している精霊が移動する速度もあかりや雪人たちが走るよりも速いのだから、ふと、あかりが後ろを振り返れば、そこにはポツンとユーリィがいるだけ。
「ユーリィ、ちょっとだけ我慢してね!」
 そう言ったあかりは、少し後退して、有無言わさずユーリィを抱きかかえた。
 突然の事にやはり驚いてしまったユーリィではあったが、直ぐに理解して、力強く、おねがいします、とだけ言った。
 何があったかは分からない。けど、何かがあった。
 それだけであかりと雪人は走っている。
 やがて、二分経つか経たないか位の時間で音のした現場に辿り着いた。そこには既に沢山の精霊がいて先が見えず、あかりはユーリィを降ろそうとしたが、途中で止めた。
「ちょっとすみません……」
 雪人が人だかりの中に入って行き、あかりもその後を追う。
 周りからは奇異な目を向けられたとは分かったが、今はそんな事を考えている場合ではない。
 ほどなくして出口に着き、あかりはずっとお腹の辺りで抱き締めていたユーリィを地面に降ろした。
 そして、体を上げると同時に、事件の光景を見る。
 ……そこには、沢山の木々が、暴れていた。
 それと、女の精霊が一人、木々たちの中にいて、もう一人いる男の精霊と向き合っていた。
「いい加減止めるんだ、ルアーヌ!」
「嫌よ、私はあの話を撤回させない限り止めませんわ、タスケード様!」
 どうやら口論をしているらしく、両腕を振ったり足で地団駄を踏んだりしている。また、暴れている木は決してその男には危害を加えず、けれども、枝が腕となり根が足となったのか、暴れながら枝を思い切りぶん回して地面を叩き、それが先ほどの音と煙の正体だと理解出来た。
 恐らく、女の精霊が、魔法か何かで木を自由自在に操っているのだと思われる。
「あ、あれは、タスケード様?」
 その喧嘩を見ながら、ユーリィが、ふと、呟いた。
「タスケードって、あの男の人?」
 ユーリィが何か知っているらしく、雪人が訊き返す。
「はい、そうです。そして、タスケード様は、この『せいれいのくに』の王子様です!」
 正確には王様だが、これから会いに行こうとしていた人物がここにいた。
「え、嘘。あの人がこの国の王子様なの?」
 驚きを隠せないあかりが、ユーリィに訊ねる。
「はい、そうです! 前以てこちらへ伺いますと言う旨の書簡を送ったので、お城の方にいるはずなのですが……」
 とは言え、こんな騒ぎがあれば駆け付けていてもおかしくないとは言えばそうかもしれない。国とは言ってもそれほど広くないみたいだし、王子が住まう所からきっと近いので特殊な技を使って一瞬でやって来たとも考える事は可能だ。
「何よ! どうして私じゃないの!?」
 ルアーヌと呼ばれた女の精霊が、タスケード王子に怒っている。その怒り方は自分の我が儘が通らなくて駄々を捏ねている様な、ムキーって言いそうな雰囲気だった。
「ど、どうしてって言われても……、俺はずっとシャオリーノが好きだから、ルアーヌが嫌いな訳じゃないけど、でもシャオリーノが好きなんだ! だから……」
 言葉に詰まりながらも、タスケードは自分の気持ちを言う。
「シャオリーノって?」
 二人の喧嘩を聞きながら、知らない単語が出てくると、とりあえずはユーリィに訊いた方が良いと雪人は判断した。
「シャオリーノ様は『せいれいのくに』の大精霊様で、簡単に言ってしまうと偉くて凄い人です。それで……」
「王子様の婚約者って事?」
 あかりがユーリィの言葉を続ける。
「そうです。で、今、あちらにいるルアーヌ様も大精霊のお一人ですね。大精霊と呼ばれる方は何人かいらっしゃいますが、皆さん、お美しい方です」
 偉くて凄い、とは、ユーリィみたいなある程度の地位を持っていて、尚且つ凄い力か何かを持っていると言う意味だろう。大精霊と呼ばれる位だから、そうであっても不思議ではない。
 しかし、美しいと言う言葉には、少し首を傾げてしまう。
 何故ながら、今、目の前にいる大精霊の顔は、怒り狂った鬼か、泣きじゃくる子供か、いずれにしろ、余り良い顔ではない。
 髪は黒くて長く、後ろを髪留めか何かで二つに分けているが、後は上品で煌びやかそうな服を纏っている位しかあかりには判断出来なかった。
 と言うか、この間にも、木たちが暴れているのだ。
 他の精霊たちが暴走している木を家を壊されない為にも必死に止めようとしているが、近付くことすら出来ず、ただまごまごしているだけで、そちらにも意識が向いてしまい、どうすれば良いのか全く分からないあかりだった。
「ふんだ、タスケード様がそう言うなら……!」
 と言って、着物の中から扇子らしき物を取り出し、そして、何か呪文を唱えたかと思うと、その扇子から光が放たれ、飛んで行った先にある一つの家が光に包まれる。
 そして――家に魂が宿ったのか、家の下から足が二本生え、側面から腕が二本生えた。
 ルアーヌは木よりも恐ろしい物を操ってしまった。
「もう止めるんだ、ルアーヌ!」
 タスケードは必死に声を張り上げるが、ルアーヌがそれで止める事は決して無く、逆に、火に油を注ぐ結果となったのか、樹木と民家がより激しく暴れ回り、ついに精霊の一人が吹っ飛ばされ、他の民家も壊される事態になってしまった。
「君だってあの時は納得していたじゃないか? それに、今まで全く気付いていなかった訳ではなかっただろう? 何が、一体何がいけないんだ!?」
 段々タスケードの方も怒りを交えながら叫ぶ。
「そんなの……、そんなの……!」
 ルアーヌは怒りながらも何か言おうとしたのだが、途中で言葉に詰まってしまったのか、ただただ叫びながら周りの操っている木々同様暴れるだけだった。
「このままだと埒が明かないな……」
 端から見れば、先ほどから全く進展してないと、雪人は冷静に判断してそう呟いた。他の精霊たちはルアーヌが操っている物に精一杯だが、運良くあかりや雪人の周りには木や家が来る事無く、事の成り行きを見ていられた。
 何時までこれが続くのかは分からないが、自分たちに何か出来る事が無いのか、周りの惨状や目の前の争いを見ながら戸惑いを隠せないあかりが、何とか一歩踏み出そうとしている。しかし、その一歩が重く、とても大変で、ユーリィも多分同じ事を考えてはいるが、同じく一歩が踏み出せない。
 救世主の登場を待ち望む人も恐らく少なくはない。
「止めて下さい!」
 だから、そういう時に、救世主は来るのだと思う。
 全員は、突如聞こえた叫び声に驚き、その方へ体を向ける。
 そこには……空に浮かぶ、一人の、精霊がいた。
「シャ、シャオリーノ……」
 ぽつりと呟いたのはタスケード。
「……………」
 何も言わず睨み付けているのはルアーヌ。
 ゆっくりと舞い降りてきた大精霊、シャオリーノは透き通る様な水色の真っ直ぐ長い髪をゆらゆらなびかせ、途中で少し移動しながらタスケードとルアーヌの間に降り立つ。
 あかりがシャオリーノを真正面で見ると、先ほどユーリィが言っていた、お美しい方、と言う言葉が本当によく似合う人だ、と素直に感じた。ルアーヌは大人の女性と言う印象が強かったあかりだが、シャオリーノはまだ少女の顔立ちも残しつつ、しっかりとした女性の顔だった。
 無表情で二人の事を交互に見るシャオリーノに、タスケードとルアーヌは戸惑い、何も言えずばつが悪そうにする。
「ルアーヌ」
 やがて、シャオリーノは優しく名前を呼ぶ。その声も少女の甲高さも少しだけ含まれている、美しい女性の声だ。
「何よ」
 一方、ルアーヌは機嫌が悪そうに、ぶっきらぼうに返す。お陰で本当はもう少し美しいであろうと思われる声が低く暗い感じになってしまった。
「どうして暴れるのですか?」
 大精霊は、同じ大精霊に問い質す。どちらが偉いのかは判らないが、シャオリーノの声は先ほどとは違い、少し強い口調で、威圧感を覚えた。
「べ、別に、ちょっと腹の虫がおさまらなかっただけよ!」
 咄嗟の苦し紛れにあかりは思わず吹き出しそうになってしまったが、場の空気を読んで頑張って堪えた。
「私は、いえ、私たちは何時までも一緒です」
 ルアーヌに少し近付き、再び優しい声で語る。
「だから何よ」
「ですから、私たちが結ばれても、これまで通りで良いのですよ。変わってしまう事なんて無いですよ」
 その言葉の意味を、あかりと雪人は理解出来なかった。
「私たちはこれまで仲良くやってきました。私とタスケード様とルアーヌと、みんなと。それが結婚しただけで終わってしまうなんて、そんなはず無いじゃないですか」
「ち、違う! 私は……!」
 ユーリィにも把握出来なかったが、ルアーヌが何か図星を付かれている事だけはなんとなく理解していた。
「……タスケード様と、一緒になれない事が嫌なのですか?」
「そうじゃない! 私はタスケード様が幸せなら文句は無いわ!」
「ならば……どうして、こんな事をするのですか?」
 ぐずった子供を叱る様な状況にも思える。
「……………本当に、変わらない?」
「ええ、変わりませんよ」
 そこで一息付き。
「ね、タスケード様」
 王子様に同意を求める。
「……ああ、そうだよ、ルアーヌ。俺たちが結婚したからと言ってそんなに直ぐ変わるもんじゃないさ」
その言葉と同時に、ニコリ、と笑顔を見せるシャオリーノは、母親だった。
 そして、気付けばあれだけ暴れていた木と家が、何時の間にか静かになっていて、もう手足も生えていなかった。
 ルアーヌが、納得したみたいだ。
「よくは分からないけど、寂しかったのかな……」
 雪人が、誰に言う訳でもなく、そんな事を言った。
「うん、そう、かもね」
 あかりは雪人の言葉を、シャオリーノがルアーヌを抱き締める姿を見ながら返す。
「もう大丈夫そうですね!」
 ユーリィが安堵しながら笑った。
 その後、暴走を止めようと頑張っていた精霊たちがせっせと家や木を運び、荒れた土や壊された他の家を元に戻そうとしている。
 その中で、あかりたちは王子たちの下へ行く。
「タスケード様!」
 ユーリィが走りながら声をかけると、タスケードがこちらを向き、同時にシャオリーノとルアーヌも振り向く。
「あなたは『おふろのくに』のユーリィさん」
 見知った顔を眺める様にタスケードが喋り、近付く。
「すみません、一部始終眺めさせて頂きました」
 苦笑いをしながらユーリィが語ると、ルアーヌが少し顔を赤らめながらそっぽを向いてしまった。
「いえ、こちらこそ騒がして申し訳ありません」
 丁寧に深々とお辞儀をして謝る王子だったが、その顔はあかりや雪人と大して歳の差が無さそうな、少年の顔だった。身に纏っている物は、シャオリーノと一緒の白地がメインの服だったが、髪の毛は少し跳ねており、あかりと雪人が通う学校の制服を着させても違和感が無さそうである。
「『おふろのくに』の方が、一体何の御用ですか?」
 シャオリーノは気になったらしく、ユーリィに問う。
「はい、実は私たち『おふろのくに』に流れている水が突然汚れてしまい、その原因を調査した結果、上流に住まう皆様の国が、そ、その、何かあったのではないかと言う事に……」
 思えば、ユーリィは原因を捜すのでは無く、犯人を捜しにやって来たとも考えられる。
 川が荒れたり汚れたりする事はあるだろうが、それでも『おふろのくに』には水を綺麗にする装置か何かがあるだろう。しかし、それでも汚れてしまうのであれば、それは自然ではなく、人が関わってくるものと予想出来る。
 本当はユーリィだって疑いたくは無いだろうが、そう思わなければならないし、そう思ってしまうのだろう。
「あ、それ、多分私だ」
 そう、あっけらかんと言ったのは……。
「ル、ルアーヌさん、ですか?」
 雪人が思わず訊き返してしまう。
「ごめん、私がさっきみたいにイライラしていた時に、外で適当に暴れていて、多分何かやったんだと思う〜」
 その謝り方は、『悪い、お前の分のゼリー喰っちまったよ』なんて言うのと同じ位、軽かった。
「も、申し訳ありません! 直ぐ元に戻します!」
 代わりにタスケード王子が必死に謝り、シャオリーノも申し訳無さそうに頭を下げる。
「い、いえいえ、原因が逸早く分かって、元に戻るのでしたら……!」
 悪いのは精霊側なのに、思わず『おふろのくに』代表までも謝ってしまう。
「まぁ、これで一件落着ですね」
 少し笑いながらも、ホッとした様子であかりは呟いた。
「あれ、ていうか、あんたたち誰?」
 そこで、ルアーヌが初めてあかりと雪人の存在を認識したと思われる。
「……と言うか、何で水着なの?」
「うっ……」
 それを言われると何とも説明し辛く、三人とも、なんて言えば良いのか分からず言葉に詰まる。
「それに、それ。……私たちが前にあなたの国に渡したやつじゃない」
「え?」
 あかりは思わず口を開けてしまった。
「ん? いや、その水着、前に私が『おふろのくに』に行った時、皆でお風呂に入れる様に、って持って行ったのよ。でも、何か余っちゃってね。持って帰るのも何か変だったから寄贈したの」
 ……少し腑に落ちなかったが、理解は出来た。
 あかりは、ちょっともやもやした。
 水着を着て、お風呂に入る。
 ……………。
 あかりは、やはりマニアック面が強いのかもしれない。それか、若者らしい考えではないのかもしれない。
「で、何でそれを着ているの?」
 それを聞いて、改めて訊ねられると、非常に答え辛かった。
「まぁ、理由は良いじゃないですか」
 えーっと、や、その……、と何時までも言葉に詰まったあかりと雪人の様子を察したのか、シャオリーノがそう言った。
 ルアーヌはその言葉を聞いて、まぁ、そうね、と途端に興味が無くしたのか、今度はユーリィを見た。
「とりあえず、私が悪いみたいだし、直ぐに治すね」
「あ、はい、お願いします!」
 ユーリィの元気な返事を聞いて、ルアーヌは不適な笑みを零しながら浮いて、何処かへ飛んで行ってしまった。
「後はルアーヌに任せようか」
「そうですね、タスケード様。私たちが何とかしなくても大丈夫でしょうね」
 タスケードとシャオリーノはにこやかに見えなくなってゆくルアーヌの背中を見ていた。
「よし、では、我々も国に帰りましょう!」
 ルアーヌの姿が完全に見えなくなったと同時に、ユーリィがあかりと雪人に呼びかける。
「よろしいのですか? これから宮殿にお招きしようと思っていたのですか……」
 その言葉にタスケードが申し訳無さそうに言い、同時にシャオリーノも困った表情をした。
「ユーリィさんの大好きなお食事もありますよ?」
「え、本当ですか!? ……はっ。い、いえ、大変嬉しい申し出ではありますが、私は一刻も早く国にこの事を伝えなければならないので……」
「そう、では、また今度、改めて礼を兼ねてお招きします」
 穏やかな笑みを込めながらシャオリーノは納得した。あかりと雪人も、何となく理解し、笑いながら頷いた。
「では、失礼しました!」
 一目散に、ユーリィは駆け出して、国を後にする。一刻もとは言ったが、本当に早かったので少し慌ててしまったあかりと雪人は、振り向きながら大声で、失礼しました、と叫んで走って行く。
 二人には見えないが、タスケードとシャオリーノは、走り去る二人を見て、肩を寄せ合いながら微笑んでいた。
 ユーリィに追い付いたのは直ぐで、その後は再びユーリィの体を、今度は雪人が抱いて走る事となった。そのまま国を出る際、門番に軽く挨拶をした程度で、殆ど足を止める事なく、『おふろのくに』へ戻る。
「ユーリィって、ご飯が好きなの?」
 あかりは大きく息を吐きながら、ユーリィに訊ねる。
「え、えと……はい……」
 ユーリィの体は赤くなり、シャボン玉から赤いトマトに変身してしまった。
「はっ、そういえば、お二人に何かお礼の品を用意しなくては!」
 先ほどのシャオリーノの言葉を思い出して考えたのか、ユーリィの赤みが少し薄らぎ、ハッとしながら叫ぶ。
「え、お礼……? べ、別に良いよ、そんなの。だって、私たち何もしていないじゃん」
 確かにあかりたちは何もしていないと言えばしていない。今回の騒動は結局『せいれいのくに』の大精霊、ルアーヌが自身の気持ちを何かにぶつけた結果起こり、そして、引き起こした張本人が元に戻すと言うのだから、そこにあかりや雪人が登場する場面など無い。
「いえ、お二人がいてくれたお陰で助かりましたよ。私一人では怖かったですし……」
 少し俯きながら、ポツリとユーリィは漏らす。
「……そっか」
 少し走る速度を落としながら、雪人は頷いた。
「じゃあ、何にしよっか」
「うーん、折角だから『おふろのくに』のお風呂に入ったり、『おふろのくに』のご飯を食べたりしてみたいかも」
 まるで旅行の計画をするかの様に、あかりは楽しそうに語り始める。
「ご、ご飯ですか!?」
 そして、その単語に、ユーリィが思わず反応してしまう。
「あはははは。そんなにご飯が好きなんだ、ユーリィ」
 雪人はさっきより真っ赤かになったユーリィの頭を撫でながら、優しく抱き締め直した。
「冗談よ、冗談」
 少し慌てながらあかりが訂正する。
「そうだね、そういうのも良いけど、元の世界に戻る方法を見つけないとね」
 すっかり忘れていた当初の目的を、雪人は思い出した様に喋り、あかりもその言葉を聞いて思い出した。
「元の、世界、ですか」
「うん、ほら、僕らは一応この世界の人じゃないからね」
 極めて明るく振舞う雪人に対し、ユーリィは見るからに落ち込んでしまって、萎びた丸い果物にも思えた。
「残念、ですね……」
 ユーリィが間隔を置きながら呟く。
 それが、合図だったのか。
 ゴゴゴ、と後ろから何か音がする。地響きかと思って辺りを見回すが、何処も揺れていない。しかし、依然と震える音が響いている。
 何時の間にか最初にいたカラフルな大地に戻っており、そこで一旦二人は止まり、音の原因を探る。
 あかりはその音が自分の後ろ、先ほどまで走っていた方から聞こえていると感じ、後ろを振り向いた。
 それは正解で、あかりの後方からは、川が氾濫した時の様な、大量の水が一気に流れて来ていた。
「え――」
 気付いた時には、既に自分の体は波に揉まれ、雪人の姿も確認出来ず、どんどん水の中に取り込まれていた。手を伸ばして雪人かユーリィを探そうと努力はするが、自分の体を守る事で殆ど精一杯で、段々、あかりには自分が何処にいるかの感覚も無く、抵抗なんて出来やしなかった。
「ユーリィ! 国城君!」
 だから叫んだ。水の中じゃあ出来ない事とは分かっているけど、兎に角叫んだ。
 叫んだつもりだった。
「……あれ」
 でも、ようやく自分の喉から自分の声が出た時、そこは、ベッドの上だった。
「――夢」
 口にして、ようやく理解する。
 いや、何度か、夢であると認識していたはずだった。
 でも、途中で楽しくなって、夢中になっていた。
 だから、こんなにも早く覚めるとは思っていなかった。
 辺りは暗く、夜である事は確認出来る。ここがさっきの世界でない事も判る。
 理解出来てしまう事が、悲しかった。
「あかり、大丈夫!?」
 その声と共に扉が突如開き、あかりに何処となく似ているあかりの母親が現れた。
「大丈夫? あなた、風呂場でのぼせていたのよ」
 あかりの母親は心配そうにあかりの額に手を乗せる。
「……うん、大丈夫だよ、お母さん。ごめんね」
 あかりは謝るしかなかった。
 そして、それから直ぐに、再び眠りに着いた。
 もう一度『おふろのくに』に辿り着く事は無く、今度は夢を見る事すらなかった。
 目覚めは余り良くなく、寝巻き姿のまま居間に行くと、あかりの母親がまだ心配しているのか、今日は休む? と訊いてきたが、あかりは、ううん、大丈夫だよ、と笑顔を見せて部屋に戻った。
 けれど、あの夢を忘れる事が出来ないまま登校して教室の中に入り、既にいた友人の下へ行く。
「ねぇ、昨日、こんな夢を見たんだ」
 自分で夢を見た、と言ってしまってはどうしようもない。でも、それでも、あかりは誰かに話したかった。忘れない内に誰かに伝えたかった。
 好きな人が出てきた夢。
 話し終わった後の友達たちの顔は、少し苦かった。
「まぁ、良かったじゃん、国城君が出た夢をそんなに覚えられていたんだから」
 夢は忘れやすい。
 でも、あかりはそう言われても余り嬉しくなかった。
 誰か、この気持ちを理解してくれる人はいないだろうか。友達の机に伏しながら溜め息をつき、焦点の合わない目で何かを見る。
「大丈夫? 何か具合悪そうね」
 今朝もそんな事言われた気がする、程度の考えしかあかりには無く、上の空だった。
 でも。
「おはよう~……」
 好きな人の声は、それだけで別格だ。
「お、はよ、国城。ん、何か元気無いな? 風邪か?」
「いや、うん……、まぁ、ちょっと昨夜、お風呂でのぼせちゃって……」
「マジかよ! あははは、大丈夫かー?」
 雪人はクラスメイトの男子に笑われている。
 端から見れば只の雑談だろう。
 でも、あかりにとっては――。


 話すきっかけが出来たかもしれない。






後書小言あとがきこごと

 どうも、水木です。小説ページのレイアウトとかセンス無いんで無理です……。

 これは2009年の新入生歓迎部誌に載せた作品です。
 今回はとても早く発行でき、去年度よりも一、二ヶ月くらい早い気がします。
 部としては良い事ですが、その分、〆切が……。

 何時も、一度発行した部誌読んで誤字脱字等を見つけ、それを直してから載せるのですが……今回は物凄い量でした。全然推敲しなかった所為でもあるんですが……まぁ、その……。
 後、周りにまともに読んでくれる人がいないので、誤字チェックも兼ねて母親に読んで貰ったんですが、頼んでおいて言うのもなんですが、これが遅いの何の……。
 正直、自分だけでやれば後一週間早く載せられたと思いますが、まぁ、遅い。

 ……余った部誌を貰うと言う手段は浮かびませんでした。
 それと、母親に見せる羞恥心は、一応持っています。



 じゃ、長いけど内容について。

 今回のお話は、前回書いた作品でネタ切れになってしまった為、色々考えた結果、高校の同期と遥か昔(数年前)にちょろっと話題になっていた『テーマ』を拝借する事になりました。
 確か『おふろでよめるはなし』と言う内容で、自分もその時は考えましたが、結局お蔵行き。……しかし、まさかの日の目を浴びる事態に。

 と言う事で、とりあえず何も考えずに書きました。
 そうしたら……、まぁ、何時も通りですが、酷いことになりました。
 でも、大分前のお話を許可して下さった事には本当に感謝しています。
 つき子さん、有難う御座いました。


 書き方ですが、前回で三人称(風味)書きをやったので、なんとなく今回も。こういうのは練習しておいた方が良いと思いますが、全然勉強していないのでやっぱり一人称が良いかな、と。

 それと、部誌のあとがきでも書いたのですが、久々にキャラクターに名前を付けました。
 ただ、時間が無くてネタに走りました……(主人公二人は最初からネタの予定)。

*以下、元ネタ解説始*
 ・岸崎あかり:To Heratの「神岸あかり」 + バトルアスリーテス大運動会の「神崎あかり」
 ・国城雪人:カードキャプターさくらの「月城雪兎」 + AIRの「国崎往人」
 ・ユーリィ:銀河お嬢様伝説ユナの「ユーリィ・キューブ」
 ・タスケード:まもって守護月天!の「七梨太助」の、とある呼ばれ方
 ・シャオリーノ:まもって守護月天!の「守護月天 シャオリン」の、とある呼ばれ方
 ・ルアーヌ:まもって守護月天!の「慶幸日天 ルーアン」の、とある呼ばれ方
        (※ルアーヌ辺りはネットで見た名前を参考にしているので、
           本編では使われていない可能性もあります。(最後に読んだの何時?
 要するに、主人公二人は、似た様な名前をしたキャラを合体させた感じで、
 残りの方々は殆どそのまま使った感じですね。
 どれもこれも結構前の作品で、結構思い入れのある作品です(大運動会は余り……)

 ちなみに『クピ』に関しては、『(大)貝獣物語』の「クピクピ」から取りました。
 同作品のキャラ、「ポヨン」より『ポヨ』でも良かったんですが、それだと『大食いキャラ』と言う接点が出来てしまうのでもちっと『分かり難い』方を選びました。後、試しに『ポヨ』で調べたら「もしかして『ポニョ』?」と出た事に何故かムカついて……。後、「バブ」だと喃語っぽくになってしまうので止めました。
 すごくどうでもいい理由ですね。

*以上、元ネタ解説終*


 てな訳で、今回もやっぱり長くなってしまった。
 まぁ、この後書きも後一回……いやいや、ちゃんと書こうよ、自分。

 とりあえず、次回は文化祭の時期だと思います。
 では、この辺りで。

 ここまで読んだあなた。

 本当に。

 どうも。

 「有難う御座いました」



2009/5/28 水木 真 

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