わがまま

水木 真 
(挿絵 一朝一夕)

 じゃんけんぽん、その言葉とほぼ同時に俺は孤立した。石とハサミと紙の中だったらハサミが一番強そうな気がするのだが、何を言っても負け犬の遠吠えか。
 春先のとある日、昨年度と一緒のクラスメイトがいないかどうか見渡した後、今年度の委員と係りを決める会議が行われた。入学したてならまだしも一年も過ごせば、どの委員になるとどれくらい大変かは大体情報が出回っているので、なるべく当たらないようにする奴らは少なくない。
 俺もその一人。基本的には事なかれ主義で通っているが、単純に根がわがままなだけで、面倒で責任重大そうなことはやりたくないから避けているのだった。
 しかし、それが今回はアダとなってしまった。
 残念なことに、積極的に文化祭実行委員をやりたいと思うクラスメイトはおらず、結果、じゃんけんで決めることになり、そして……後は言わなくてもいいだろう。
 俺は大きな溜め息を吐くも、周りのガッツポーズの前では無意味で潔く黒板に名前を書いてしまおうと、ほんの一瞬だけ戦場だった教室の一番後ろから教壇まで歩きチョークを取る。これが自分で名前を書く行為が心の中にまだ残っている不満を完全に折ることができるような気がした。
 せめて相方は気の合う奴だと良いなと、そういえば女子は誰になったのか知らなかった。確か女子もさっきまでは決まっていなかったはず。男子は担任が、面倒だから残っている奴らでじゃんけんして決めろと命令してきて、そこから先は臨戦態勢だったので覚えていない。
 ていうか、女子なんてほとんど知るはずないか。ならせめて去年一緒の奴で、とかすかな願いを込めて顔を上げる。
 ……………ふむ。
 俺は自分の名前、藤原あきら、と言う字を書いて席に戻る。改めて黒板を見ると、自分とその隣の字が並んでいることに妙な懐かしさを覚え、さっきまでのどんよりした気分が何処かへ行ってしまっていた。
 そして、全ての委員と係りが決まり、その他の連絡と解散の合図を担任から聞いた後、前にいた女子が振り向く。
「頑張ろうね」
 藤野和泉のやんわりとした笑顔を見るのが久々に思えた。


「お前、なんで文化祭実行委員になったんだ?」
 下校途中の、校門辺りで俺は率直にたずねた。
「他にやりたそうな人いなかったし、私、別にやっても構わなかったから」
 その考えが男子の誰かにもあればどんなに良かった、と声にはしなくても十分分かるくらいに俺の体は沈んだ。
「でも、相手が私で良かったじゃん」
 うな垂れている俺の背中を介抱するように手が触れた。
「それは、まぁ、不幸中の幸いだな」
 素直に述べると和泉は俺の顔をのぞき込みながらにっこり笑った。どうやら向こうも相方が俺で良かったと見える。
「本当にやりたくなかったんだったら、先に他の委員に立候補すれば良かったんじゃないの?」
 未だガックリしている俺にアドバイスみたいなことを言ってくれるがそんなの後の祭りだし、そもそも俺はどの委員会にも係りにもなりたくなかった。そして、俺がそういうことを考えているのも恐らく和泉は分かっていて、さっきみたいなことを言っているはずだから、これはもうアドバイスではなくイジメとしか思えない。
「ほとんどの人が何かしらの係りに就くんだから、何もやらなくていい人になるのは賭けだと思うけどな」
「はいはい、そーですねー」
 段々説教されているみたいになってきたので俺は適当に流すことにした。いくら中学が一緒で知れた仲とは言え、そろそろムカついてくる。
「まぁ、なっちゃったからにはやるしかないし、時期が来たら一緒に頑張っていこうよ。ね、あきら君」
 ただ、最後は明るく語りかけてくれるのは和泉らしかった。こうやって前も励ましてくれたことがあったな、と急に昔を思い出した。和泉がいるから頑張ろうと思うわけではないが、少なくとも和泉がいて良かったとは本当に思う。
 だから、その後も和泉と歩きながら雑談をしていて、気付けば、まぁ、そん時は頑張るか、と俺もいつの間にか前向きに考えていた。不思議と言えばそうだし、何となくそういう風になるのも解るような気もする。
「じゃ、また明日〜」
 軽く手を振り合いながら和泉と別れる。俺らは高校まで電車と徒歩だが和泉とはあまり会うことはなく、見かけても混雑する朝の車内や誰かと話している姿が大体だから軽く挨拶や会釈をするだけがほとんどだった。去年はクラスも違っていたし、疎遠になっていたかもしれない。
 だから、和泉のあの言葉が久々に感じた。


 それから月日は進んで、九月に入る。夏休みは終わってみればあっという間に終わってしまったが、それでもまだ暑い日は続き制服も夏服のまま。生徒たちの日課は残暑をうちわや下敷きを使って乗り切ることだが、俺と和泉は徐々に動き出した文化祭に向けてHRなどでクラスメイトに意見を求め、それをまとめなければならない。さらに文化祭実行委員会の集会も当然開かれ、会議が終わっても残暑地獄は続いている。
「暑い……死ぬ……」
 終わって解散となった直後、俺は廊下の壁にもたれかかり少しでも体の熱を和らげる。太陽が当たらない場所は少しひんやりしていて気持ちいいと感じるほどである。
「文化祭が始まる頃は涼しくなっているよ」
 確かにその頃には夏も完全に終わっているだろうが、それで気はまぎれない。和泉もそうは言っているが、汗をハンカチで拭きながら小さなうちわで扇いでいる。
「これからどうする?」
 会議の場所となった教室を出て、今後について考える。配られたプリントや委員長と先生の説明を聞いていると一旦整理する必要が出てきたので、さてどうしようか、と二人とも思ったのだった。
「もう帰ろうぜ。教室に誰かいたら面倒だし……」
 委員会の前にクラスで企画の話をしたのだが、まぁ、どいつもこいつもテキトーに言ってくる。どうして俺は教壇に立ってあいつらの大言壮語に付き合わなければならないのかとイライラしながら話をまとめていた。和泉が後ろから黒板に意見とかを書きながら小声で「落ち着いて」とか「頑張って」とか言ってくれていたが、正直、焼け石に水だった。
さすがに今は怒りの沸点も下がって落ち着いているし、それよりもメンドくさいなと思う方で一杯だが、もし、教室にまだみんなが残っていて未だ文化祭への熱を持っていたとしたら……と考えると、行く気になれない。
「じゃあ、どこかに寄ろっか」
 下駄箱から靴を取り出し履き替え、校門から出てようやく開放された気分にひたれた。同時に外の空気は風もあってか校内と全然違うような気がする。太陽は西日から夕日になる間として残ってはいるが、俺らの通学路は並木道が多いのでそこを通れば少しはしのげられる。川も近くにあるから余計涼しく感じられて、最寄り駅からそこそこ歩くことを抜けば良い場所にあるのかもしれない、と朝はいつも憎たらしい道のりを評価してしまう。
「んー、どこにする? 何かいい所、知ってるか?」
 俺はほとんど寄り道をせずに帰る、寄っても本屋とかだからファミレスの類いはよくは知らない。それと比べると和泉は女の子だし、何となく友達に付き合って色々な所に寄っているようなイメージがあった。
「私、あんまり寄り道しないからよく分からないや」
 何だお前もか、と嬉しいような悲しいような気分になった。お互い寄り道をしないだけなんだが、友達が少ないかもしれない淋しい奴にも思えて、そんな同士を発見してもちっとも喜ばしくない。
「とりあえず地元に帰るとするか」
 駅前の商店街を歩きながら何かないか探してみたが、ファミレスは見当たらず、喫茶店は何となく俺らが入れる雰囲気ではなく、定食屋は目的が違う、と、ここだと思えるような所がないので俺らは大人しく電車に乗ることにした。
 しかし、学校の最寄り駅から地元の駅まではたった二駅しかなく、まともに案らしい案が浮かばなかった。思えば外食ってそんなにしないな、とふと考え、意味もなくバイトでもしようかと一瞬思ったが即座に撤回する。まだ金が必要になることは少ないだろうし、面倒だ、と素の自分が答えを出していた。
「あ、それなら私の家はどう?」
 電車を降りてもまだ決まっていなかったところに、改札を抜ける前に和泉が閃いたかのように声を出す。
「いいのか?」
「うん、大丈夫だよ」
 俺がついきき返してしまったのは和泉の性格にある。
 大雑把に言ってしまうと和泉は天然の気があり、今の発言もパッと思いついた考えを、一度も検討せずに言ったのでないかと心配したからだ。しかも、そのクセ、基本的にはまともだから言った後で「あ、やっぱり……」みたいな感じにワンテンポ遅れて正しい答えを弾き出すもんだから油断できない。
 中学時代、朝、俺が「北條とC組の宮条って仲良いのか?」と、北條とそれなりに話す和泉にたずねると「うん、最近そうらしいね」なんて、これ以上会話が続け難い返し方をしてきたからそのまま流したのに、一時間目が終わると突如体をこちらに向けて小声で「そういえば朝言っていた北條さんと宮条君って、確か付き合っているよ」と、ようやくこちらが言って欲しかった事を言ってきた、なんてこともあった。ひどい時は答えが翌日に返ってくる。
 ただ、俺は中学三年の時、同じクラスだったからある程度慣れてしまい、もう驚かずに話せる。
「じゃあ、行こっか」
 と言う訳で、和泉の家に初めてお邪魔することとなった。思えば、人の家に行くことなんてここ数年無かった気がする。ましてや女子の家なんて幼稚園か小学校の低学年以来だ。いくら知った仲とは言え、緊張してしまうのは無理もないだろうと思いたい。
 ちなみに和泉は駅からほんの二、三分歩いた所にあるマンションに住んでおり、駅を降りたら直ぐまたね、になる。それでも地元が一緒というのは何とも言えない安らぎを与えてくれている。
「はい、ここでーす」
 そうこう考えている内に到着していた。駅から数分、マンションの階数も三と、毎朝が果てしなくうらやましい状況である。
「お邪魔しまーす……」
 和泉が玄関の鍵を開けて中に入る後を追って俺もぎこちなく続く。久々に他人の空気が充満する場所に飛び込んだが、和泉の家だと思うと難なく溶け込める気がした。
「あ。あきら君、ドア閉めてくれないかな?」
 先を行く和泉がそう頼んできた。俺は後ろへ振り返りドアノブをつかもうとするが、まだ少しだけ見える外の光がいやにまぶしく、そして家の中がいやに暗く感じた。
「ごめんね。今日、お父さんもお母さんも帰り遅いんだ」
 なっ――、
『ガチャッ!』
 ……俺はこの時の音をしばらく忘れられないだろう。
 特に何も言っていないような振る舞いで俺を手招きするあの馴染みある笑顔が逆に俺の冷や汗を増大させる。
 これは俺の勘違いか? 誇大妄想か? ただの自意識過剰か?
 何も分からないまま鍵をかけ、和泉の自室と思われる部屋に案内され、すでに置かれているテーブルと座布団のふすまに近い方へ座り深呼吸をする。和泉は台所へ行ったみたいなのでその間に文化祭のプリントやノート、筆箱を出してそっちに意識を傾けなるべく部屋を見渡さないように心がける。

わがまま挿絵1

「はい、冷たい麦茶だよ」
 お盆に自家製と思われる麦茶のペットボトルと氷が何粒か入ったグラスが乗せられており、俺はありがたく頂戴した。和泉に麦茶を満杯近くまで注がれると一気に飲み干し、もう一杯要求すると和泉は笑って注いでくれたので俺もつられて笑ってしまった。正直、部屋に入ってから落ち着かず全体的に熱がこもっているような気分だったので麦茶は天からの恵みのように感じる。
「じゃ、やるとするか」
 ようやくリラックスできたところで、さっきまでのことを頭から吹き飛ばし作業に入る。今和泉の部屋にいる理由はこれをする為だからしなければ意味がない。向こうもやりますかー、とゆるい掛け声を発して始める。
 しかし、それから一時間もしないで終わった。確かにまとめておきたかったが、まだ始まってばかりでやれることもできることも少ない。後は今後の方針を二人軽く言い合うくらいだった。何かを期待していたつもりはなく、早く終わって嬉しいには違いないが、物足りない感じもする。
「麦茶飲む?」
 お疲れ様にしよう、とばかりに勧めてくるので脇にあった空のグラスを差し出す。ノンアルコールジュースで向こう側の景色が揺れて、注ぎ終わると今度は俺が和泉のグラスに入れようとペットボトルを貰う。まだ先の話だが、ちゃんとした年齢になったら二人で何処か呑みに行くのも面白いかもしれない、と他のことを考えていたらあふれてしまいそうになっていたので慌てて離すと何とかギリギリこぼさずに済んだ。
「お疲れさん」
 大したことはお互いやっていないと二人とも分かっているのでチン、とグラスが鳴った後に少しだけ笑った。
 もう汗も乾ききっているが仕事後の一杯はウマいと言う感じに直ぐ飲み干してしまった。
 一方、和泉は俺の所為で並々と入った麦茶の処理の戸惑っていて、フラフラ震えている右手を維持するだけで精一杯だった。助け舟を出そうか考えたがどうすれば良いのか分からず、ただただ申し訳なく見ているしかない。
「あっ」
 結局、頑張って口元まで運んだがこぼしてしまい、ベストが結構濡れてしまった。
「悪い……」
 思わず声に出して謝罪をしたが、当の本人は大丈夫だよと笑っていた。いや、そんなことないだろう、とこっちが慌ててしまいたくなるようなのん気ぶりだったから、もう和泉に任せておくか、と諦めて黙っておくことにした。
「んー……いいや、こうしようっ」
 結果、和泉が出した答えは脱ぐことだった。
 もちろんベストのみだったが、いきなりそう言って目の前で脱ぎ始めたので驚かない方がおかしいだろう。幸い、シャツまで浸透していなかったみたいだが、気にならないはずがない。和泉にやましい感情を抱いた記憶は無いが、今この瞬間に抱くのが問題であり抱かない可能性が無いとは言えない。
「ちょっと行ってくるねー」
 恐らく脱衣所だろうが、そこへ行く際に和泉の上半身が俺の近くを通ったので思わず顔を反らしてしまった。
 さっきの玄関みたいに、一度気になり始めるとしばらくの間は無闇に考えてしまうので、気をごまかそうと点いているはずのクーラーの温度を確認しようと立ち上がり、和泉のベッドの上に置かれていたリモコンを見るとちゃんと28℃設定だった。
 それにも関わらずアツいのは何故だろうか。
 いつもの俺じゃない脳みそが乱雑に出した答えなぞ、導くこともなく消えてゆくだけだった……。


 そして、再び時は進み、文化祭間近に移る。もちろんあの後は何事もなく終わり、そして別れたが、少しの間だけ和泉に注意を払っていた。さすがに今はもうしておらず、する意欲も薄らぎ、何より文化祭が迫っているのにそんなことを気にしている余裕は持ち合わせていない。
 だと言うのに、クラスメイトがいきなりこう言ってきた。
「なぁ、お前と藤野ってどういう関係なんだ?」
 突発的な質問だったため、即座に答えられず、一緒にいた他の奴がこう続けた。
「俺も気になってたなってた。お前ら、随分仲いいよな」
 その質問には即座に答えることができる。「中学が一緒だから」。今までに似た質問を何度かされたからこれは機械的に対応できる。
「でも、お互い下の名前で呼び合ってるじゃん」
 あーそれは少し説明する必要があるな。しかし、それはそれで面倒だから俺はテキトーに「覚えていない」と言って流した。
「ふーん。じゃあ、お前、藤野のこと好きじゃないのか?」
 出た出た。これこれ。中学の時も言われた記憶がまだ脳に残っているよ。どうして男子も女子もすぐそういう発想になるかね。楽しいのか。
「そら、お前、好きか嫌いかって言われて『嫌い』って答えられるかって。その質問は前提がおかしい」
 やれやれ下らない、と一笑する。
「いや、そうじゃなくて、お前が藤野のことを『友達』として好きなのか、それ以上として好きなのかってこと」
 そこでピタリを思考が停止した。
 確か、それも前に問われた覚えがある。しかし、その時は面倒な質問が来たな、と即座に否定したが、今回は少し違ってくる。違う答えを出せそうな材料がある。
 こないだの和泉の家だ。
 あの時は『急にそんなことを言われた(された)ら変な風に考えてしまうのは無理ない』なんて結論付けたが、どうしてもそれだけで終わらない気がしていた。何か重要なことを忘れているような、それだけが脳からこぼれ落ちて見つからないようなもやもやした感覚が未だにあった。
 だから、友人のこの発言は改めて聞くと目からウロコ、足りないと思っていた何かに感じた。
「お前、自覚していないだけじゃね?」
 無自覚無意識。決してその感情だけは抱いてはいけないと心の核が築いた防壁。周りに時々言われるからこそ逆に考えないようにしていた本心。怖くて見たくなかった真実。
 その日の夜、俺は眠れなくなった。
 まずは和泉との出会いを思い出した。あいつと俺は中学三年の時に初めてクラスが一緒になり、最初は名簿順に座席が指定されているから藤野と藤原で席が前後となった。そして向こうから「よろしくね」と声がかかり、その後も何となく和泉が話しかけてくるから何となく話に乗っていたらいつの間にか気軽に会話する仲となっていた。
 また、お互いを下の名前で呼ぶ理由は、お互いのあだ名が『フジ』だったことがきっかけとなった。誰かが「フジ」と呼ぶと二人とも声のする方に振り返り、そして笑ってしまうのだった。俺としては女子が『フジ』と言われていることに驚いたが、それ以上にいちいちお互いが自分と同じあだ名で呼ばれることにこそばゆい感じを持っていたので、じゃあ、自分たちは下の名前で呼び合うか、と最終的に行き着いた。
 それから進学先が一緒であることを知ると、さらに仲間意識が芽生え、共に励まし合いながら合格を目指す良き友へと昇格する。一緒に模試を受けに行ったこともあったし、入試と合否の日は二人で待ち合わせて行った。
 去年一年間はクラスが違ってしまったため最初は話していたものの、夏前からは微妙な感じになってしまったが、今年、再び一緒のクラスで座席も前後の関係となり、偶然にも同じ文化祭実行委員となったので二人が一緒にいることは必然に近いものとなった。
 だから、あまり考えていなかった。
 中学の時に俺と和泉が付き合っていると言うウワサが流れ、直ぐ否定をしたが、その際に和泉が俺のことを好きだと言う情報も耳に届いた。しかし、それも偶然席が前後になり、なんとなく話し始めただけ……だが、確かにあれは和泉から話しかけて来たから、好意ある相手に接近する機会に恵まれた、と思えばおかしくないともとらえられる。
 だが、俺はそれすら否定した。そんな風に考えることが嫌いでそんな風に考える連中が嫌いで、その時は純粋に友達としていたかったから、たまたまだと決め込んだ。
 でも、偶然とは言え、仲良くなると言うことは好意を抱いていないとならないから……いや、しかし、そんな安直な流れで俺は相手を好きになっていいものなのか。だが、逆にきっかけは些細なこととも言うし、好きになった理由なんざ最終的にはどうでもいいことなのかもしれない。
 ただ、『恋に恋した』みたいな状況はごめんだ。
 かと言って、このままの状態で和泉とまともに接せられるかどうかも怪しい。
 俺が今一番出さなければいけないもの。それは。
「和泉が……『欲しい』かどうか……」
 即物的で性的な思考でもあるが、辿っていけばそこに着くはずだ。結局、色恋沙汰はそういうものであろうと俺は思う。
 そして、そこでもう限界だった。
 普段の事なかれ主義、しかし、それは単なるわがままな自分を抑制する存在。真に迫った時は無用、邪魔な存在。
 そんな自分が、自分が発した質問になんて答える?
 『欲しい』。
 どうしてそこまで断言できるかは解らない。昼間の好きか嫌いかと言われたら好きに決まっている、と似ていて片方の答えには絶対ならないからもう片方を答えるような消極的選択にも思えてしまう。
 だが、違う。
 もういいじゃん、自分。
 素直になれよ、俺。
 普段から素っ気無い態度を取ってきた俺に、何度も何度も声をかけてくれた可愛い異性をこれ以上否定する必要はないだろう?
 そんなもんじゃん、現実。
 早い遅いの問題じゃないだろ、今は。
 後はどうすれば和泉と友達以上の関係になれるか考えて、実行して、成就するのをひたすら願うだけだろう?
 ……気が付けば小鳥の鳴く時間になり、ほとんど寝ることなく登校した俺は、とりあえずこれからの方針を決めた。
 和泉と文化祭をまわろう。
 単純にして明快、接近もでき二人きりの思い出も作ることが可能な計画である。こういう時は下手に考えるよりもさらっと思ったことの方が案外まともな時が多い気がする。
 そして、すでに先約が入っていないかどうか不安に思いながらも和泉を誘う。
「そういや、和泉は暇な時間どうすんだ? 良かった一緒にまわらないか?」
「うん、いいよー」
 実にあっさりと作戦は遂行された。まぁ、向こうは何も考えちゃいないだろう、と言うのが実際だろう。
 と言う訳で、時の流れはまた動き、文化祭当日。
 まとめ役である文化祭実行委員二人が同時にいなくなることに実行委員自身が不安を感じながらも休息を取る。しかし、ただ休憩するだけじゃあダメだ、とクラスメイトが俺らに木製のプラカードを渡してきた。要するにクラスの宣伝をしてこい、と言うことか。俺は少しくらい休ませろと大いに文句を吐きながら和泉と廊下へ出た。
「ふぅ……。さて、どこ行くか?」
「んー、とりあえず適当にまわろうよ」
 お互いクラスの出し物に一杯一杯で余り考えていなかった。それくらい大変だったんだと思う。
 ただ、適当に回るだけでもクラスの連中が言っていた宣伝にはなる。もちろん、宣伝看板は持ち歩いているわけだが、それ以外にもう一つ。
「仕事中はまだ割り切れるけど、この格好で歩くのってちょっと恥ずかしいね」
「まぁ、普段こんな服着ないし、慣れないよな」
 二人ともクラスの出し物の格好をしていた。
 俺らのクラスの出し物は洋風喫茶。男子はウェイターの、女子はウェイトレスの格好をして接客していた。
 それで、男子は白のワイシャツに黒のベストとズボン、とシンプルな内容だが、女子は紺のワンピースにヒラヒラしたエプロンを着けて、簡単に言えばちょっと目立っている。宣伝としてもこれ以上ないことだが、働く人間が減り衣装までも減るのは困る、と言うのがクラス側の意見。だから、仕方なくこの服装で歩いている。
「しっかし、こんなのどこで調達してくるんだ?」
「浅野さんが働いているお店の制服なんだって」
 俺は詳しく聞いていなかったが、どうやらクラスメイトの浅野がアルバイトしている先の制服を、文化祭の間だけ貸してもらえないかと店長に頼んでわざわざ最大人数分用意してくれたとか何とか。本当かどうかはしらないが、助かったことは間違いないし……、何より、正直「ナイス!」 と叫びたい。
 とは言え、見慣れないけれども可愛い服を着て二人きり歩くとなると、緊張してしまう。もちろん、俺が和泉への想いを自覚したからでもあるが、気が付けば周りの目が俺らに注がれていて、自分たちがどう映っているのか気になってしまった。
 けれども、肝心の和泉は素知らぬ顔でゲームをしたりお菓子を食べたりしているので良かったと言える。疎いが一度気になり始めるとしばらく気にするはずなので、せめて休憩中だけは感付いて欲しくないと心から願う。
 ……しかし、俺が過剰になっているだけかもしれないが、和泉へ視線がやたら多い気がする。
 もしかして、と思うが、いや、そこは文化祭特有の空気、衣装が単に他人を惹きつけているだけだろうと俺は解釈した。正確に言えば、まだ彼氏彼女の関係でもないのに嫉妬をするなんてむなし過ぎるからもう少しまともな理由を探し出しただけだった。
 でも。
 自分の好きな人と、隣に立って歩けると言うのは平凡だけど幸せだな、と雑多に人が入り乱れる文化祭の廊下の一角で俺は心から思った。我ながら純情だと自嘲しながらも、それでも嬉しいものは嬉しいと肯定して、過ごした。
 そして、無事文化祭が終わり、俺ら実行委員の活動はそれから少しのクラスと委員の反省会をして、終わった。また、夏休み明けに一度席替えをして和泉とは離れ離れになってしまったので今までより話す機会は減ってしまったのだが、ありがたいことに向こうから「一緒に帰らない?」と声がかかってくる日がよくあり、朝の電車の時間が同じになる日も少なくはなかった。友人にそのことを軽く話すと、脈あり過ぎ、と一笑された。
 偶然の部分もあるが否定もせず、木枯らし吹く帰り道の今も俺は和泉と歩いている。
 ただ、今日はいつもと違い、俺が和泉を誘った。
 つまり、告白すると決心したからだ。
 理想としてはどこか人通りの少ない場所へ行ってそこで告白したいが、普段寄り道をしないことがアダとなり、即座に当てはまりそうな場所が記憶の引き出しから出てこなかった。
 結局、ずるずる和泉と雑談をしていたら電車に乗っており、もう後は地元に戻って……和泉のマンション前しかない。いや、うってつけの場所がないなら和泉に寄り道しないか誘えば良いのだろうが、それ以上にマンションの前にはちょっとした公園が、駅前ではあるけれども、俺の希望をある程度満たす場所ではある。ならばいっそそこで、と決心すれば後はどう切り出すかだ。
 思えば、初めての告白だ、と急に過去を振り返る。
 高揚感なんて生易しい表現ではなく、全身が爆発してしまいそうな何かが心臓にあり、今にも起爆しそうな雰囲気で、それが恋心だと分かると必死に抑えようとするが、逆に何故こんなに我慢しなくてはいけないと全てをぶちまけたい衝動にもかられる。
 ただ、ここにきて一つだけ懸念する事柄がある。
 前にも説明した、和泉の天然っぷりが引っかかっていて、 要するに、俺が告白したタイミングでは和泉は理解せず、自宅の部屋に戻ってからようやく理解するんじゃないかという具合だ。
 さすがにそこまで鈍感だとは思いたくないが、万が一を考えて遠回しな言い方は避けるべきだ。
 駅の改札を抜け、少し歩けば直ぐに和泉が住んでいるマンションが見えるのでより一層覚悟を決める。
「ちょっと、公園に寄らないか?」
「うん? いいよ〜」
 向こうにしてみれば突然の誘いだったが、そこは和泉、特に思うことなく承諾してくれた。
 公園までの短い道のりを適当に文化祭の思い出を語り合いながら行き、園内のベンチが都合よく空いていて、周りに人がいない。絶好の告白チャンスとしか思えず、逆に必要以上に興奮してしまう。
「あ、あのさ……」
 ベンチに座って直ぐに言おうとしたが、予想以上に口が動かず、和泉に疑問を抱かせる隙を与えてしまいそうになった。とっさに「お前って俺のこと、どう思っているんだ?」なんてさっきまで絶対しないと決めたはずの羅列が出てしまいそうになり、焦るばかりだ……。
 もういい。言おう。どんな言葉でもいい。
 体を横に向けて和泉の顔を正面でとらえる。そして、先ほどまでのヘラヘラした顔を引きしめ、眼は和泉の体全てを見つめる気持ちにして、一度固唾をのみ込み、そして。
「和泉、好きだ。俺の彼女になってくれ」
 心の奥から一瞬湧き上がってきた感情をそのまま言葉として吐露した。
 対する和泉は、今受けた言葉をじっくり考えている。初めは目を見開き顔は硬直し、体をほんの一瞬震わせ全身で驚きを表現したが、直ぐに顔をうつむき、時が止まったように動かなくなった。一瞬で長考に入る姿は、普段の和泉からは想像できず、向こうも真剣に考えていると思えば焦りと不安はあるものの嬉しくも感じられる。
 また、一時期、和泉が俺のことを好きだったと言う情報が流れたことを思い出すと、可能性が増した気がした。
「ありがとう。私もあきら君のこと好きだよ」
 だから。
「でも、ごめん。あきら君と付き合えないや」
 その言葉が理解できなかった。
 今度は俺が、時が止まったように、全身が凍り、次に震え、和泉が発した言葉を全身で受け止めて理解しようと努力するが、その間に頭は真っ白、それまで考えていた全てのことがどこかへ吹き飛んでしまった。
 好きだけど、付き合えない。
「……どういう意味だ」
 声色がすでに怒りの臨界点から遠くないことを表し、まずいとは思いつつも俺の眼は和泉を睨んでいた。
「……………いつか、言おうと思っていたことがあるの」
 長い沈黙の後、和泉は俺の質問に答えず突然語り始めようとした。それに喰いかかろうと思ったが、和泉の体は俺の方に向いておらず、もう直ぐ冬になろうとしている空を見上げていたので大人しく待とうと、体勢はそのままにして黙ることにした。
「私、引っ越すことになっているんだ」
「な!? ……い、いつだ! いつ引っ越すんだ!?」
 言葉を聞いた瞬間、俺の両腕は和泉の両肩をつかんでいた。和泉の顔がようやくこちらに向き、痛そうな顔をしているが、それでも両腕の震えは止まらない。
「三月。だから、今年は一応いる予定だよ」
 しかし、三年生になったら……もう、和泉と一緒に登校することも下校することもできなくなる。またクラスが一緒になることもない。前の席に和泉がいない。
 ――和泉が、いなくなる。
「何でだ、どうして引っ越すことになったんだよ!」
「お、お父さんが転勤することになったから……」
 例えどんな理由でも納得できないと思うほど熱くなっていた俺にとっては、転勤と言う『普通すぎる』内容で逆に勢いが弱まってしまった。両肩を揺さぶっていた俺の両腕の力が一気に抜け、今度は悲しさを伝えるものとなってしまっている。
 とは言え、世の中それくらいじゃ断る理由にならない。
「……俺は遠距離でも構わない」
 別に海外へ行くような感じには見えない。いや、例え海外だとしても俺は構わない。
「ありがとう」
 でも、和泉のありがとうは、すごく冷たく感じた。そう、否定する言葉にしか、感じられなかった。
 今度は俺が和泉を見られなくなり、和泉とは対照的に散らばる木の葉が視界に映る。
「……私、あきら君に告白されるなんて思わなかった」
 和泉は思い出をゆっくり口ずさむ。
「私、本当は中学の頃からあきら君のこと好きだったの。中学二年生の運動会の時、私が100m走でこけてビリになって落ち込んでいるところに順位の札を持っていたあきら君が『おつかれ』って優しく言ってくれたのがすごく嬉しくて、それから気になって、好きになったの」
 確かに二年生の頃、頼まれてビリになったやつを案内する係りをやった覚えはあった。ただ、その時に和泉が言った出来事があったかまでは覚えていない。
「三年生で一緒になった時は本当に嬉しかった。だから、男の人に話しかけるのは苦手だったけど、頑張って話しかけたら、あきら君が応えてくれて……すごく幸せだった」
 確かに和泉が他の男子に話しかけた記憶は全然ない。
「実はね、進路の話になって、あきら君に『高校、どこ受験するの?』ってたずねたら、先生が今の高校が成績的に一番良いから今の高校にするって言ったのを聞いて、それから私、本当は別の学校だったけど大体一緒のレベルだったから、今の高校に変えたんだよ」
「えっ……」
「今年の文化祭実行委員も、本当はなるつもりなんか全然なかったけど、男子がじゃんけん始めることになった直後に手を上げたんだ。だから、あきら君が負けてくれてすごいホッとしたし、嬉しかった……」
 それって。
「こんなこと言ったら気持ち悪いと思われるからいやだったけど、でも……、うん、私、実は結構あくどいかも」
 ――そうか、鈍いのは俺の方だったんだな。
「でも、だったら何で……」
 うぬぼれる言い方だが、そこまで俺のことが好きなら、何故告白せず俺の告白を拒否したんだ?
「引っ越すことが決まった時、告白しようかなって思ったよ。でも、まさかあきら君が私のことをそんな風に見ているとは思ってもいなかったから、振られて微妙な仲になってそのまま引っ越しして二度と会うことがなくなるよりも、このままの関係でいて引っ越しした後もたまに会える仲の方が、幸せかなって……」
「それで、諦め――た、のか」
「うん」
 見上げて視界に入った和泉の顔は、笑っていた。
「そうしたら引っ越すまでに、あきら君だけじゃなくて他の人たちとも一杯話して思い出を作って引っ越した後も連絡取れるように頑張ろうって前向きに思えて、今までよりも気軽に話しかけられるようになったんだ」
 今日までの日々を思い出しながら、和泉は笑っている。
「だから、私、今年はすごく楽しい。文化祭も、すごく楽しかった。今までで一番楽しい年になりそう」
 和泉の顔は、まだ笑っている。
「あきら君が好きだって言ってくれた時は『夢かな』って一瞬疑っちゃうくらい驚いて、すごく嬉しかったよ。ありがとう」
 全て語りつくしたのか、和泉の笑顔は清々しく見えた。
「――それで、満足かよ」
 和泉の笑顔は、崩れない。
「俺はお前じゃないから、そう思うまで色々あって、それで至ったんだなって、とりあえず思うけど、でも、それでも、お前の考えは理解できねぇよ」
 和泉の顔は、まだ笑顔。
「別に俺はお前のたくらみを聞いて気持ち悪いとか思わなかった、むしろ嬉しいと感じたよ。でも、そんなに俺のことを想って、色々やったなら、何で引っ越すってだけで諦めたんだよ」
「でも、私にはあきら君が告白すること自体夢のまた夢だったし……」
 気持ち悪い笑顔は、まだ壊れない。
「第一、引っ越しの話になって親に何も言わなかったのかよ? 俺だったらまずいやだって言うな」
「でも、仕事の都合なら仕方ないでしょ」
 ようやく、未だ笑顔のままだが、ほんの少しだけ困った表情になった。
「それでもすんなり了解する方もどうかと思う。それで直ぐ俺のことを諦めるなんてもっとどうかと思う」
 困惑した表情が徐々に強くなってきた。
「……和泉、お前、実は俺のこと、そんな好きじゃなかったんじゃないか?」
「そんなことない!」
 その即答の瞬間、俺は初めて和泉が怒った顔を見て、そして、ようやく和泉の感情を見ることができた。
「だって……私にはそうすることしか思いつかなかった……。うちはお父さんだけじゃなくてお母さんも働いていて大変そうだから、少しでもお父さんとお母さんの役に立つように家事とか手伝って……。転勤も色々話し合った結果だもん、私一人が反対したら……」
「だから、それがおかしいんだよ!」
 俺は再び和泉の両肩をつかむ。
「そういう時だからこそ自分の意見を言うんだよ!」
「違う! そういう時だからこそ言わないの!」
 和泉は勢いよく立ち上がり、同時に俺の両腕を無理矢理振り払った。
「馬鹿野郎! お前はそう言って自分自身をごまかして、自分の気持ちにうそついているだけなんだよ!」
 俺も和泉につられて立ち上がり、怒る和泉に負けまいと声を荒げた。
「さっきから引っ越しだのお父さんとお母さんのためだの、告白されて振られた時を思うとだの何だのって、全部逃げているだけじゃねぇか!」
「そんなんじゃない! ちゃんと考えた!」
 半分取っ組み合いのケンカとなりながら、俺は感情と勢いに任せて言えるだけのことを言うしかない。

わがまま挿絵2

「うそだ。お前はそうやって悩んだ振りをして何も考えていなかっただけなんだよ!」
「どうしてそんなにハッキリ言えるの? 私が今までどんな思いで過ごしてきたか知らないのに、どうして全部分かっているようなこと言えるの!?」
 もう和泉の顔は激情によってあふれ出た涙さえ気付いていないか、わずらわしい存在でしかないのか、俺の顔を見ないように目をそらしつつ自分からも目をそらしている。
「ああ、そりゃ全部は分かんねぇよ。そんな考え、一生分かりたくねぇよ! だからそんな考えとっととやめろ!」
「それこそ意味分からないよ!」
 感情を爆発させているのは、どうやら俺もだった。でも、ここまで来たら止まらない。止めない!
「だってお前、両親に迷惑かけたくないから、とか、俺に告白してもどうせ振られるだろうから、とか、自分のこと、全っ然、考えてないじゃん!」
「そ、そんなこと――」
「俺は和泉の気持ちが知りたいんだよ! 聞きたいんだよ! 教えて欲しいんだよ! ――言えよ!」
「きゅ、……急に言われてもできないよ!」
「何でだよ! 本当はずっと思っていたんだろ? 本当は夢見ていたんだろ? それを言ってくれよ!」
「だから、お、思って……なんか……!」
 それでも両方とも潤みまくっている和泉の瞳を見て、後少しだ、と勢いを落とさず言おうと頭の中が弾いた。
「聞かせてくれよ、お前が本当はどう思っているのか、どう思って今まで過ごしてきたか……話してくれよ!」
「でも……、だって……」
「言わなきゃ何も始まらないんだ! 和泉は始める前に諦めただけで、今からでも始めることはできる!」
「は――はじ、め……る」
 もうとっくに和泉は涙を流している。しかし、和泉自身は未だに全く気付いていないように見えた。
「そうだ。ただ、思ったことを、考えたことを、感じたことを言えばいい、言うだけでいいんだ」
 だから、その涙の道となっている頬を両手でゆっくり触れ、可能な限り優しく語りかけた。
 和泉の瞳は焦点が定まらないまま、口は少しだけ開き何かを言おうとするも言葉が出ずに閉じてしまうのをくり返して、沈黙が続いたが俺はそれにひたすら耐えるしかなく、直ぐにでも抱きしめられる心の準備をしていた。
「……………本当は、いや、だよ」
「あぁ……」
「本当は引っ越しなんてしたくない、みんなと一緒に高校を卒業したい、あきら君と離れたくない」
 ようやく……、
「でも、お父さんとお母さんに迷惑かけたくなかったから引っ越しに反対しなかった」
 和泉の――、
「だから、諦めることが一番いいと思った。そうれば一番いい形で終わると思った」
 本心が。
「けど、本当は怖かったの。引っ越しに反対したら何て言われるかって。引っ越したらみんな、私のこと忘れちゃうんじゃないかって思ったから積極的に話すようにしたの。あきら君に告白しなかったのも振られた時が怖かったの……。全部、全部怖かったの……」
「もういい。もう十分だ」
 和泉の顔は見ない。誰にも見せない。和泉もきっと見せたくないはずだ。今までずっと隠していたんだから。
 だから、俺は和泉を抱きしめるだけでいい。俺は決して特別大きい体ではないが、和泉を包み込むことくらいはできる、それだけで俺も満足だ。
 泣きじゃくる和泉の声が落ち着くまで待ち、次に言う俺が言う言葉が受け入れられるかどうか不安ながらも、徐々に鎮まる声を聞いて、言わなければまだ始まったことになっていない、と不安を消し去る。
「和泉。今の気持ちを、和泉の父さんと母さんに言おう」
「え――」
「怖いなら俺も一緒にいる。自分で言うのが怖いなら俺が代わりに言う。俺が手伝えることなら何でもする。だから、今の気持ちを伝えるんだ」
「で、でも……」
「そうしないと意味がない。和泉の想いは和泉の父さんと母さんに伝えないといけない。そうしないと何も動かないまま終わってしまう」
 頭で理解できても、いや、頭でさえ今は理解できないかもしれない。だが、それでも言うしかない。
「……………」
 だが、和泉は再び黙り、そしてそのままだった。
 俺は一旦和泉から離れ今の顔を見る。そこには涙の跡が頬全体に残っていて、未だに色も力もない瞳をしていた。
 これ以上なんて言葉をかければ良いのか分からず、どうすることもできずにただ立っているだけの存在となってしまいそうになる。何とか和泉に力を与えようとするものの、すでに力を使い果たした頭から何も生まれず、段々焦りが体を支配しつつあり、それに感付き、余計に焦るばかりとなっている。ちくしょう、と心の中でほえるだけで思考は止まり、和泉の返事を待つばかりかと諦めかけてきた。
「……あれ、和泉に、藤原君じゃない?」
 そこに――救世主、もしくは終わりを告げるタイムキーパーの声が突然響いた。和泉は即座に反応して声のする方向を見て、俺も直ぐ振り向く。
「二人とも、何やっているの?」
 確か一度か二度会ったことある。
「こんにちは、おばさん」
 和泉の母さんだ。
「お、お母さん……ど、どうして……」
 和泉は慌てながら俺の後ろに隠れて衰弱した声を振りしぼって出したが、和泉の母さんは直ぐに気付く。
「今日は早く上がっただけよ。……で、ケンカでもしたの?」
 その場合、泣いている和泉が被害者で一応平然と立っている俺が加害者のように見えてしまう、と言うかきっとそう思われているんだなと考えおこう。
「えと……その……」
 本当は今直ぐにでも伝えたいのだが、この話は和泉が主役だ。許可なく話し始めるわけにはいかない。しかし、今も俺の後ろに隠れて涙顔を隠そうとしている状況なのに、自分から言えるとは到底思えない。
「俺が代わりに話そうか?」
 なるべく小声で伝え、しかし、今はやめておくと言う選択肢はまるで存在しない風に言う。
 すまん、今が好機なんだ。
 ……しかし、和泉は無言のまま、固まっている。
 やがて、公園内にいる俺と和泉と和泉の母さんの三人だけが世界から切り離されて停止したような沈黙が続く。俺はもちろんのこと、和泉の母さんも恐らく察してくれているみたいで、何も言わずじっと待ってくれている。後は、和泉の気持ち次第。
「……ううん、私が言う」
 後ろから聞こえてきた声は、それでも弱々しいくらいだが、少しだけ力がこもった、和泉の声だった。
「お母さん。お母さんとお父さんに話したいことがあるの。大切なことなの……聞いて欲しいの……」
 たどたどしく喋りながら徐々に失われた力を取り戻しつつあった。俺はそれを、もう俺の後ろではなくいつの間にか横にいる和泉の横顔を見ずに感じた。
 和泉の母さんは娘の言葉に少し黙って考えるような仕草をとったが、さっきまでの和泉が放っていた沈黙に比べれば一瞬と言える間に、家に行きましょう、と優しく声をかけてくれた。


 和泉の家に入るのは二度目。一度目は夏の、忘れがたい一件となった。そして、二度目は。
「君が藤原君か、いつも娘と仲良くしてくれてありがとう」
 和泉の母さんだけでなく、和泉の父さんもいる。帰って来るのを夜まで待って、一家勢ぞろいの中にお邪魔することとなった。
「いえ、こちらこそ……」
 しかし、俺は椅子に座って茶を飲みに来たわけではない。役に立つかどうか分からないが、和泉を助けるためにいる。マンションまでの道を歩いている途中、和泉が「なるべく私一人で頑張る。でも……」と自信なく語ってきたので、俺は和泉の頭を少しなでながら「あぁ、分かっている」と強く言い放ち、前を向かわせた。
 和泉が俺を信じて頼るまで、俺は和泉を信じて待つだけ。
「あのね、お父さん、お母さん。私、前からどうしても言いたいことがあったの」
 こう切り出し始めた和泉に対して、両親は微動だにしない。娘が話し終わるまで何も言わないつもりだろうか。
「えっと、そ、その……来年引っ越しするって話になっているよね……」
 浮かんでくる言葉をただ声に出している風に見え、焦らないようにしているつもりだと思うが口がカチカチ鳴っている。手を出したい衝動にかられるが、ここは我慢だ。
「私、今まで『分かった』とか『良いよ』って言っていたけど……、あれ、ほ、本当は、うそ、なんだ……」
 和泉家の居間は、全て和泉が支配している。俺らは和泉によって時が止まった、人形になっている。
「本当は、転校なんてしたくない。みんなともっと遊びたいし、みんなと修学旅行行きたいし、みんなと一緒に今の高校を卒業したいの」
 涙をこらえるように、少しずつ言葉にする。
「……あきら君ともっと一緒にいたい。離れたくないの」
 隣にいる俺の手をそっと握り、下を向きながらも対面にいる両親に向かって精一杯気持ちを吐き出す。
「でも、こんなことお父さんとお母さんに言ってもいい訳ないって思ってた。邪魔になるだけだって、迷惑かけるだけだって。でも……やっぱりイヤ」
 少しずつ垂れる涙をこれ以上流さないように、右手を一度顔にあてる。
「今更言っても遅いって分かっているけど……、何とか、ならない……、かな」
 不安になりながらも、自分の気持ちを自分なりにまとめて、はっきりと口に、和泉は出せた。
 後は、両親の言葉を待つ。
 どれくらい沈黙が続こうとも、俺は黙っているつもりだ。これはあくまでも和泉の家の問題。俺が口を出していい部分なんて限られているだろう。
 固唾を飲み込みながら隣にいる和泉を心配しながら少しだけ見ると、次に何を言われるか恐れながらも必死にこらえているようだった。
 何も言わない方がいいと判断し、視点を正面に戻し和泉の父さんと母さんを見る。二人とも一言も喋っていないが、お互い目を合わせて、アイコンタクトで意思を疎通していると思われる。そろそろと言うことか、と夏は過ぎたのに急激に汗が流れてきそうになってきた。
「……母さん、美容院の方は問題ないかい?」
 実際にはさほど時間をかけず、和泉の父さんが切り出した。しかし、相手は和泉でない。
「まだ大丈夫だと思うわ。元々向こうも辞めて欲しくないとは言っていたし、話せばきっと何とかなるはずよ」
 和泉の母さんも即座に、打ち合わせをしていたかのようにスラスラ答える。
「あなたの方は大丈夫なの?」
「なに、単身赴任になるだけだから、まぁ、引っ越し先を変えるだけで何とかなると思うよ」
 俺と和泉が口を挟む隙が見当たらず、訳の分からないまま両親の会話だけが続けられている。
「ま、もし駄目だったとしても、私が一年ここに残って和泉の面倒見て卒業したら一人暮らしさせるとか、そういうのでも良いかもね」
「そうだね、その時は、それまで私は新しい住まいを独り占めさせてもらうよ、あはは」
 あっけらかんと話が進み、そして、まとまる。
 しかし、俺も和泉も把握できていない。
「和泉、お父さんたち、頑張ってみるよ」
 その一言で、ようやく理解することができた。
「え、えっ――?」
 けれども、和泉は何が何だか全く分かっていない。
 俺は代わりに驚きを隠さずたずねる。
「何故、そんなあっさり決められたんですか?」
 立ち入ったことではあるが、そうでもしなければ俺も和泉も納得できない。
「家に帰った時、妻から少し状況を聞いていたからね。もしかしたらそういう話なんじゃないかってね」
 和泉の父さんはほほえみながら教えてくれた。
「前に、こういう話を妻と少ししたこともあるし」
 今度は苦笑しながら。
「それに、昔から和泉には申し訳ないことばかりしていた。私たちが共働きだからって小学校の途中から家事を手伝ってくれて中学からはほとんど一人でできるようになっていた。なのに文句一つ言わず私たちのことばかり気にしていて……」
 遠い目をしながら、在りし日の和泉が目の前に浮かんでくる。そこでは、この家で一人両親の帰りを待ちながら洗濯籠を持っていたり料理の味見をしたりする和泉の姿があった。俺のは妄想だが、きっと、和泉の父さんには……。
「ほ、本当に……いいの? それでお父さんもお母さんも大丈夫なの?」
 意識がはっきりしてきた和泉は、それでも自分に非があるように、さっきの言葉が幻じゃないかと疑うようにもう一度問い質す。
「ああ、何とかしてみるよ」
「私も一回仕事辞めなきゃいけないし、色々大変だから引っ越しに反対していたくらいだわ」
 そこに和泉の父さんが苦笑いで「それは私もだよ」とつっこむ。そして、二人で笑いあう。
 ――何だよ、結局そういうことかよ。
 肩の荷が降りた、いや、全身の緊張が一気に解かれた反動で俺はガタンと椅子にもたれかかった。隣にいる和泉は頭の中に入っているはずなのに整理できていないのか、俺以上に放心している。
 俺も、余りの早さに衝撃だったが、今は徐々に嬉しさがこみ上げている。だって、和泉はここからいなくならないんだろ? それって、もう言わなくても分かっているけど、来年も、きっとその後もずっと一緒にいられるんだろ?
 そして、そういえば告白の返事を未だに――公園のは無かったことにして――まだもらっていない。それがおかしくて少しだけ笑ってしまったのだが、だけど、純粋に嬉しくてどうでもよくなった。
「でも、久々に和泉のわがままを聞いた気がするよ」
 自嘲しながら笑いかけてくる和泉の父さんを見て、俺は、またくすりと笑った。そして、横で泣きそうになっている和泉の頭を今一度なでてこう言い放った。
「こんなの、わがままじゃないですよ」






後書小言あとがきこごと

 どうも、水木です。相変わらず適当なレイアウトです。

 これは2009年度の文化祭・文芸部部誌に載せた作品です。
 そして、初めての挿絵付きです。
 また、これが文芸部としては最後の作品の一つとなりました。

 挿絵は、今回からイラスト部と合同、と言うか協力をお願いして頂き、僕もイラスト部所属の方にお願いして描いて頂きました。これで高校○生って言うんですからたまげたもんです。将来が楽しみですね。
 本人は「いや、実は結構……」とか言っていたんですが、素人目には分からないって。

 自分の作品の〆切、挿絵の〆切、他の人の作品の〆切、製本準備の〆切、色々あって大変でしたが、楽しかったです。僕は最初で最後となってしまいましたが、これからも続いて欲しいです。


 まぁ、文芸部としての話はこれくらいにして、内容について。

 とりあえず、最後だったんで好き勝手に書きました。内容も、僕のこれまでの作品を読んだ事がある方は「何時も通りか」と言う印象だと思います。母にも言われました。僕もそう思います。
 でも、好き勝手やれるって大切です。やりやすいですし、ある程度のびのびやれますし、自分の作風が徐々に確立かつ精練されます。良い事だと思って開き直ります。

 書き方は一人称に戻る。こっちの方が良いです。
 個人的にはやんわり書いたつもりです。なるべく青春臭くなるように。
 でも、とある方から「かたい」と言われたので精進せねば。

 キャラクターの名前に関しては、前回同様ネタです。

*以下、元ネタ解説始*
 今回は、月刊ガンガンWING(ウィング)と言う、2009年度で休刊(廃刊)してしまった雑誌にいた作家さんの名前を勝手に拝借させて頂きました。兄が最初から途中まで買って、僕が途中から終わりまで買っていたので、色々思い入れのある雑誌でした。それはさて置き、すみません。
 それを踏まえて解説。
 ・藤原あきら:藤原ここあの「藤原」+小島あきらの「あきら」。
 ・藤野和泉:藤野もやむの「藤野」+河内和泉の「和泉」。
 藤野もやむ先生は途中で別雑誌に移ってしまいましたが、残りのお三方は長い間WINGを支え続けて下さいましたし、新しく出来た「ガンガンJOKER」と言う雑誌で(2010年4月現在)連載をされています。
 また、名前だけ登場した二つの名前に関しては、
 ・北條:方條ゆとりの『方條』を変えて「北條」。
 ・宮条:宮条カルナの「宮条」。
 となっています。
 藤原と藤野を間違えそうになったり、『あきら』と言う名前に(ネタ的な)意味を込めようとしたけど〆切やページ等の都合で止めたり、と少々困った事もありましたが、名づけも楽しかったです。

*以上、元ネタ解説終*


 てな訳で、今回は頑張って抑え気味にしました。ええ、一応。

 文化祭の作品を掲載するまでに時間がかかったり、やっぱり誤字脱字等があったり、後書きを意気揚々と書く癖が抜けなかったりとまだまだなところが沢山ありますが、これからも頑張って行きます故、こっそり読んで頂けると嬉しいです。

 それでは、この辺りで。

 ここまで読んだあなた。

 本当に。

 どうも。

 「有難う御座いました」



2010/4/1 水木 真 

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